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 携帯は持っていない。テレビもない。
 何もない部屋のカーペットに指を立てると、自分の少し伸びすぎた爪が気になった。あるのは、西向きに作られた窓、当然開かない。焦燥は何も生まない。
 冷蔵庫に潤沢な食料。聞いてきた相手に何か食べたいものを言うと、彼も生活力が無いらしく、何種類か売り場に並んでいるものをひとつずつ買わせてきて小さな冷蔵庫に詰めた。
 流行りの歌はとうにわからないから、昔馴染みの歌詞を口ずさむ。
 変化に気づいたのは、自分の手相が変わっていることだった。生命線が伸びている。やることがなかったからこれにはいささか興奮した。毎日少しずつ違和感が本物の発見になる。こうして生まれつき生命線の短い女は明日を望むようになる。大袈裟か。実際、明日の9割5分を無為に過ごすなかでひとつ楽しみができた。時は誰も待ってくれない。はじめてそれでいいと思った。
「私の名前、わかる?」
 人間がふたりしかいない部屋では、お互いを認識するのにわざわざ名前で呼ぶ必要がない。彼の手が私に伸びる。あっ、キュッと喉が締まる音がする。
 ただ名前がほしい。名前というものは役割だと思うから。わたしはここで何をするべきなのか、知りたい。
 なんで生きてるん──生かされているんだろう。ただ話せば何かわかるはずだと茫漠とした部屋で考えている。何も話してくれない人はこの人がはじめてだった。
 わたしの名前。キキだったりララだったり思えばわりと色々名乗ってきた。戸籍は昔になくなったと思う、誰かの持ち物として生きた生活のほうが長いから自分の面倒を自分で見ることをちょっと諦めている。首にかかった手が離れて全身から力が抜ける。全部今更だ。
 彼がやってくる日や時間帯に決まったものはない。こういうときはこうしようなんて対応も考えていたが、すぐにやめた。彼がここにくるときは暇で暇で仕方ないときか、誰ともいたくないときなんだろう。
 そうか。わたしは置物だから、あってもなくても同じなんだ。なら、命を繋ぐ便利なフレーズは何もない。壊れたときは素直に処分されよう。ただ、彼のまっくらな瞳を見ると怖くて喋らずにはいられない。なんとか命乞いではない言葉を吐いて生きている。
 無敵と呼ばれたこの人がつけてくれる名前を地獄に持っていきたい。それでわたしの生きてきた時間に意味が生まれるわけじゃないけれど、しるべのようなものになってくれるような唯一無二のものがほしい。
 そんなふうに考えていた矢先、ある日薄い布団で寝て起きたら、わたしは水商売はやってなさそうないでたちで、周りを見渡せばパソコンの載った机が敷き詰められている。会社のオフィス?
「みょうじ先輩、警らに行きましょう、時間ですよ」

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