さよならを言う朝に



※闇マイキー

 ねぇ、あの人。なまえが窓をこつこつと人差し指の爪で鳴らした。夜も更けていて、ここには自分となまえだけだと思ったのに。
「こんな時間に釣りかな」
「さぁ」
 心底興味がない。プライバシーガラスの上からフィルムを貼った窓の外は見づらく、辛うじて人の影が防波堤の奥に見える。彼女が外へ出た。目で合図を受け取ってオレも潮風に当たる。
「あの人、たぶん肩に大きいクーラーボックス提げてるよ。なんかサスペンスみたい」
 彼女はどこか楽しそうだ。非日常が日常に食い込んでいない証拠であって、なんとなくそんな彼女をオレは幸せだと思う。凹みの入ったバンパーに手を置いて水平線の先を見つめている。車を降りてしまった二人はそこから動くことなく、流れる雲と同じはやさで時間を過ごす。塩辛い空気が目に痛い。
「バラバラの死体が入ってるとか?」
 万物の母に任せて凶器のナイフを海に捨てたことがある。ナイフはキラキラと地底に泳いでいった。死体は海に捨てるとめんどうだ。処置を間違えなければいいのだが、前に部下に任せたらコンクリートの混ぜ方が下手で浮いてきてしまった。餌になるには時間も何もかもが足りない。
 なまえの迎えついでにひさびさに海に車を走らせた。彼女に元気がないように見えたから、学生だったころの思い出の場所に連れてきた。彼女よりオレのほうが大丈夫ではない。静かな時の流れのなかであのころと変わりのない他愛のない話がしたかった。
 昨日何食べたとか会社で何があったとか、そんな話を延々としていた。束の間の平和を死屍累々たる人生の間に挟み込んでバランスをとろうと抗う。
「もう行っちゃうの」
 暗い海を彼女が惜しむ。彼女の手を取って車に乗り込む。
「二人きりがいいんだ」
 これからどこへ行くかを考えながら、ハンドルに手を掛けて適当に話を合わせる。
「今日いつもと違う車だね」
「うん」
 会話は一度途切れる。潮風の残り香が二人の間を通り抜ける。
「車は替えが効くから」
 信号の無い道を奔る。奔って、目的地が無いことに気づいてはっとする。思い出の場所は十数年経つうちに色褪せて、あるいは物理的に消えてしまった。そのうちのいくつかは自分の手で消したのだった。等加速度的に速度を落とし、車は防風林の近くで止まる。彼女越しに見える窓ガラスには朝日を迎えようと白んでいく海が浮いている。ハンドルを握っていないほうの手でやさしく彼女の頭を引き寄せて唇を食んだ。なんの感情も伝えないキスだ。二人きりだったら。あの海になまえを溶かして、誰のものでもない秘密にしてしまえた。なまえは残機の無い命を拾ってオレの心に永遠には残ってはくれない。


物騒な話してくれーー
人を海に沈めるおはなしと海に何かが在るおはなし、深夜の海辺の人影(クーラーボックス付きだとなおよし)が大好き 沈も
またこのネタ書きます

拍手
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -