これはノーカン



 一度だけわがままをきいてもらったことがある。
 中学に上がる前の私の誕生日のこと。エマちゃんの誕生日のちょうど1ヶ月前のこと。
 エマちゃんには既に真一郎さんや佐野くんという彼女を大事に守ってくれる人たちがいて、私はほんとうのところ、そこに加わりたかったのだけどこれは到底無理な話だった。
 なので、話を一旦フラットにして、エマちゃんを守りたい!という気持ちがどこから来たのかを掘り当てることにした。結果『私は佐野エマに恋をしてい』たのだった。
 佐野エマは、まだあどけなさが残る顔だちでありながら、瞳には意志の強さが伺える凛とした印象があった。私はエマちゃんの瞳が、淡くて甘い色をした唇が、光を受けてきらきらと光る髪が、きめ細やかな肌の細長い手足が、その全てがものほしかったのだけれども、そのひとつだけを選ぶとして、それは唇だった。
 13になるひとつ前の晩。私は佐野家にお泊まりをした。共働きの親が私を佐野家にあずけた。私が誕生日に親友のエマちゃんと遊びたいと言ったのを覚えていてよくしてくれたのかもしれなかった。
 エマちゃんの部屋で、彼女とたわいのないことで盛り上がって、花びらが散るように時間は刻々と過ぎていった。佐野家は私の家より夜が来るのが遅かった。私はエマちゃんと13の誕生日を迎えることができて上機嫌だった。エマちゃんには今日は特別だからと言って私からキスをねだった。
 全てを選ばなかった、賢明であった私は、悪あがきをして女の子同士でなら平気なんだよと、魔法使いのふりして、まるで素敵で、それでいてなんでもないんだと、普段のハグとか頬を合わせるとかのスキンシップの延長線上にあるんだみたいなことを言った。ちぐはぐなとんだペテン師をエマちゃんは一瞬、きょとんとした顔で見て、なまえのプレゼントになるんだったらと私に譲ってくれた。
 それからしばらくして、エマちゃんに好きな人ができた。それからは知っての通りで、エマちゃんと龍宮寺くんはとっても順風満帆で、中学に上がってからも、私はエマちゃんの幸せそうなカオと恋バナにダブルパンチを見舞われて毎日天に召されているのである。
 ずっと片想いをやめられずにいる。そして、報われないのを承知で、龍宮寺くんにちくちく嫉妬して、迷惑な女だと思う。しかも、たまに誰もいないのを見計らって学校の屋上や河川敷の橋の下で泣いていたりする。自室で泣くと微妙に湿った枕に夢見を悪くされるのだ。
 
◇◆◇

 なまえは困ったやつで、自分でひいた迷路に迷って途方に暮れているような感じだ。最初はなかなか家に馴染めないエマのはじめてのダチだった。
 なまえは泣き虫でそれを心配した彼女の親が道場に連れてきた。稽古の厳しさによく泣いていた。ひとしきり泣いたらおさまるのか、泣いた後は重くなった道着の袖を精一杯振って稽古に励んでいた。
 彼女がエマと仲良くなるまで、彼女はオレにとって価値を持った存在ではなかった。エマに紹介されてはじめて彼女はオレの中でみょうじなまえという形をとった。
 エマはよくなまえに手を引かれて近くの公園やたい焼き屋に連れて行かれていた。オレは気が向けばそれに着いていってたい焼きにあずかったり、たまに道端の気に入らない連中をのしたりした。なまえはエマの世界をいとも容易く広げていくケンチンのことを気に食わないんだ。
 あいつの様子が目に見えて変になったのは、中学生になって一番最初のバレンタインデーが近づいてきた頃だった。頻りに、砕いて固めるだけのチョコレートを作る練習をして、できたものを自分で食べる。いつ会ってもアルミのカップに入ったチョコレートの袋詰めが彼女の鞄に入っていた。
「それオレにちょうだい」
「やだ」
 なまえは袋の口を握りしめた。袋の底にはチョコレートのてっぺんから外れてしまったアラザンとカラースプレーが溢れおちていた。
 エマへの気持ちをチョコレートに溶かし込んで、無意識のうちに消化しようとしていたらしい。一人のなかから出てきたものをまた取り込んでしまうのだから意味などなかった。
 オレは不意をついて、彼女から袋を奪うと中身を残らずたいらげてしまった。
 そのときのなまえは呆然として一言、なんでと呟いていた。
「オレさ、なまえが好きだよ」

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