ちゃんぽん



※自殺未遂


 ちょうど一年前、敬愛していた画家が亡くなってしまった。
 つまりは、12ヶ月分の身勝手。

 社会の荒波に生きる人々とはほぼ無縁の些細な事件に過ぎないけれど、私の中には今でもしっかりと刻み込まれている。
 そして、私は今ドラッグストアで購入した空の200錠を胸に抱えて、自室の風呂場に立っている。先ほどまでシャンプーとリンスがあったスペースにテキーラを筆頭に酒類を列座させて。

 特段、浴びるほど飲みたい気分ではなかった。むしろ、2日続けての飲み会のどんちゃん騒ぎの後でまだアルコールが抜けきっていない状態であって、後味の悪い夢を見た後の倦怠感に包まれていた。グラス数杯で視界がガタついている。
 カッターを右手に白いガーゼを巻いて支えていて、なおもだるいのである。ドラッグストアまでは保たれていた緊張感はすっかり麻痺してこれからA3をA4にするくらいのほんわりとする気持ちで、刃を押し出して、左へ進めて、手前に引ききった。


 やわらかな光に目が覚めた。覚めるというのはおかしいのかも。実際、冷たくなった私が目を開けることなどないのだから。優しい刺激を瞼に受けて、ぼんやりと景色が見えはじめる。白い。
 あの人と同じ場所に行けたのか?

「……目覚めたんスねッ!」
 問いはすぐに打ち破れる。
 ドラマで見るような病室。ベッドから眺める天井は赤黒いしみが飛んでいた。簡単に死にそびれた。窓辺の椅子に座っていた仗助くんが側に寄ってきて、私の体温を確かめる。抱きしめられたということだ。そんなに距離近かったっけ?
 そのままの態勢で「なまえさんッ!」を繰り返すのでその背中をおそるおそる撫でる。
 私の記憶が曖昧で、カッターが赤を吐いたことまでしか覚えていない。
「仗助くんここ病室」
「あっ静かにします」
「そうじゃなくて、私リストカットしたよね」
 なんで生きてるの、とは続けられなかった。

「あと2日で退院できるんで、そしたら」
 えっ。教えてくれないの。
 私の体から残っているはずのカッターの跡がなんだか痛んだ。

 目が覚めた私は様子見の二日のうちにどんどん回復し、医師にきっと慢性的な疲れですね、こういうのはリンパ腫どうちゃらに繋がりますから気をつけてくださいと言い渡されただけで、看護師にねぎらいを受けて退院する。結局、仗助くんの言ったとおりになった。
 久しぶりの家は何もなかったように日常に帰していた。

 病院を後にして三日経った。入院までの経緯を教えてくれるらしい。待ち合わせのカフェ・ドゥ・マゴでカフェラテをできるだけ上品に飲むフリをしてすすっていた。これからのことに気が重くて液体が喉を伝う感触がへばりつく。
 昼は過ぎたというのに、人がまばらにいた。話しにくいだろうからきっと少し世間話をしたらここをすぐに移動するんだろうな。
 自殺のために仕事をやめ、することがなくて予定よりだいぶ早めに出てきてしまい、財布以外身一つの私は、空の雲を数えるといういまどきロマンチストでもやらないようなことに没頭するしかなかった。財布の中身は野口さんが数枚。あとで、オーソン行かなかきゃな。

「待たせちゃってすみません!」
「待ってないよ。大丈夫」
 仗助くんは予定の時刻ぴったりに走ってきた。近くのウェイターにコーヒーを頼むと、挨拶もそこそこにさっそく本題に入る。
「なまえさんは風呂場に血溜まりつくって青白くなってた」
「いきなりクライマックスだねぇ」
「俺は億泰たちとここ行こうって話してて、ならなまえさんパフェ食べたがってたから誘おうと思って、家行ったら倒れてた」
 入るときにドアを壊して直したそうだ。
「帰ればよかったじゃん。インターホン鳴らして出ないならさ」
「何回も鳴らした。出ないのは億泰が可笑しいって言うから」
 他の客はもっぱら自分らの会話で忙しいようで、物騒な会話は空気に還元されていく。
「それで風呂場で倒れてるなまえさんを見つけてなおした」
「ありがとね」
 鍛えられた大人の笑顔で誤魔化す。
 一年かけて立てた計画が白紙にかえって生きたままなのは気に食わないし、みっともなかった。
 1分でも早く切っていれば。幸運すぎた。
 アメジスト色の目がしっかり私を見据える。
「そんな風に思ってないでしょ」
「生きる意味がなくなっただけだから。死に急いでる気はしてた」
「何があったんだよ」
「衝動だよ。好きな画家の命日だった」



初出 2018
元ネタを友人から聞いたので。

拍手
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -