昇級覚悟



 手が空いていたからといってほいほい呼んでもらっても困る。お手ごろな面倒くさい任務だった。
「あの、私はやく昇級したいので、実績がほしいんです」
 初対面の小柄な京都校の生徒のいわんとするところは、手柄を独り占めするな、手加減しろということだ。それならさ、と言葉を繋いだ。
「俺より先に見つけてボコればいいんじゃね」
 彼女は納得したのか大きく頷いて帳の張られた住宅街へ駆けていった。
 結論を言うとこの会話はすべて無駄になった。
「なまえ、避けろよ!」
 ターゲットを一掃するのに地面に穴を開けたのを見て、彼女は協調性がないと一蹴した。さっき自己紹介したから名前は覚えていたけど、明日には忘れていると思う。
 彼女は抉れたアスファルトをじっと恨めしそうに見つめていた。
 こちらにわざわざ「私の実力不足でした」とお辞儀して、彼女は迎えの車に乗っていってしまった。強さの前提が間違っている。また会ったらからかってみようか。

 次の年の交流戦ではじめて彼女の実力を目にした。
 彼女の術は、聞かされていた階級の二段先をいきそうな気がした。容赦のない技の切れ味と相反するように横顔にまだあどけなさが残っていた。
 交流戦がお開きになって、京都のメンツがプチ反省会から解放されたところを見計らって興味本位で話かけてみた。だいたいどこでもきく話だ。プライドの餌にされているらしい。
「一番上が二級だからその下の兄妹は足止めされてる」
 同い年だとわかって彼女は敬語をやめた。俺は彼女は間違いなく年下だと思っていた。
「へぇ」
「興味なくなったでしょ」
 俺が一瞬まごついたのを彼女は鼻で笑った。
「三級なら勝てない敵いないし五体満足ありがたやって感じぃ」
 絶対そうは思っていない。目が笑っていない。
 なまえが歌姫に呼ばれた。それで会話は終わった。

***


「推薦してやろうか」
 また僕から話を振った。
 すげない返事をくらった。何度目だろう。ネタにできてよかったというのが彼女の本音だそうだ。前に散々愚痴を聞かされた。そうしたら彼女の隣にいられたから。今も馬鹿みたいに恋心を燻らせている。
 すたすたと前を行く彼女にコンパスの差ですぐに追いつく。戦闘に身を置いているとは思えないくらいなまえの手は綺麗だった。バッグを持った右手の人差し指のマニキュアがひっかいたように細く剥げていた。
「今、何級?」
「まだ三」
 どこまで着いてくる気なのと聞かれて、彼女から視線を離すと目の前には女子トイレがあった。
「また今度ね」
 その今度はいつ来るのだろう。腐りきった運命が繁忙期と人手不足が祟ってなかなか会えないから、さっきの数分を次会うまでの足しにしろという。
 高専の暗い廊下で、ふいにお互い制服だったころが懐かしくなった。東京と京都、同じ学校で生活を送ったわけでもない。なぜか別れ際の困ったふうに目を細めた彼女がしばらく脳裏に留まっていた。窓際の銀杏の木がはらはらと零すように葉を落としていた。

***


 明日の保証のない世界とはいえ、さすがに不幸だった。
 なまえの母が弔辞を読んだ。なまえのツヤツヤの髪は母親譲りとみた。安らかでもなんでもない式が終わるのをあくびをかみ殺して待った。斎場の駐車場の端にいたもやのかかった呪霊をメールを打つ片手間で祓う。
 廊下でなまえに出くわした。喪服に身を包んでできた翳りが彼女を引き立たせている。彼女はよそいきの顔でよそいきの声を電話口で発していた。スマホを肩と首で固定してせわしくメモを取っている。いつもより濃い化粧に疲れが滲んでいた。会釈して通り過ぎようとしたら、手招きされた。彼女は僕の腕をひいて、らしくない雑把な文字を僕の手の甲にこまごま並べたてた。
『上にあがれる。清々した。我慢はもう終わり』
 いざ定番ネタがなくなれば寂しいような嬉しいような。手を振って別れた。
 あれだけ目を腫らしておいて何を言う。
 意味も無く手の甲を眺めて小ぎれいなエントランスで時間を潰した。せっかくなまえに会えたのに話をするような場所じゃないのが残念だ。
「ホテルまで送ってやってもいいけどどうする?」
 歌姫が殊勝な行動に出た。どちらも話したいことがあるのは同じだった。
「そのネックレス、似合ってないよ」
「母親のお下がりだから型が古いのよ」
 眉をひそめた歌姫は顔の傷が相まって結構いかつい。
「話したいことがあるんだろ」
 後部座席のドアを閉めながら歌姫に訊いた。助手席に座ろうとしたら長い脚の嫌みを言われたからおとなしく後部座席だ。
「なまえの兄、姉ときたからには、次はあの子よ」
「家の問題なんだろ」
「誰彼関われる話じゃないのはたしか。あんたが支えてあげなさいよ」
「は?」
「付き合ってんでしょ。周りは察してる」
 なるべくオフを被せるスケジュールを作っている時点で言い逃れできないか? 冗談。単に休日に二人きりで遊びに行く仲だ。
「ほら見ろよ。明日から友人に戻る」
 手の甲の『もう終わり』の部分だけをルームミラーに映した。
「なんつー話を葬式で……」
 歌姫が額を押さえた。「前、前!」と慌てて運転に口を挟んでウィンカーを出させた。
 こういう一瞬が命取りになる。
 まったく、他人から大義名分を受け取ると厄介だ。


初出 2020.7.31
Shame On Meにお世話になりました。人並みにおしゃれしても結局は呪術師でしかないというもの悲しさとか。

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