軽く散歩を



 肌が弱い彼女のために、陽が真上にあるうちは手頃なカフェで話をして、僕は質問されたことに答えるだけだったが、それなりにいい一日のスタートになったんじゃないか。
 彼女は、僕が相槌を打つだけでまったく話さないのに戸惑っていた。それでも雲を掴んでくるように次から次に、彼女ははにかんで菜畑くんはどう思う、と続けた。
 植物園に二人でとデートに誘われた。デートに他人を連れてくるわけないが、人数を限定するあたり空気が読めない男に見えているのかもな。
 
 入園料は僕が払った。彼女のお礼がこそばゆかった。
 舗装された道を歩いて、園内の温室を目指す。彼女は慣れたもので俺より半歩前を歩いていた。
「私、こういうのはじめてなの」
「そう」
「わくわくして昨日あんまり眠れなくて」
「もう少しかっこつけてくればよかったです」
「そんなことないって! 芙季くんはいつも通りかっこいいよ」
 こちらが気後れするくらいの返事に面をくらう。
 すっと道なりに沿って歩いて、視界に入るくらいには近づいてきた温室を彼女が指差した。あれは十分に陽を受けるように計算のうえ丘に建てられたと言ったあとに、彼女は、花も木もたくさんお昼寝ができるねと付け加えた。そういうぬけたところがなんだか玉に瑕な気がしていた。端的にものの考え方の違いだ。
「ここらへんは、山が近いからけっこうめずらしいのが生えてるよ」
「これとかそうかも。図鑑持ってくればよかったですね」
 彼女はレモン色のワンピースの裾が地面に着くのも気にしないでしゃがみ、その葉を手にとった。
「あ、靴紐解けてる」
「ほんとだ」
「そこで結んだら」
 斜め前にあったベンチに流れで僕も腰掛けて、彼女が靴紐を結ぶ間、特に話したいことも無かったから彼女の手を盗み見た。少し荒れていた。ただでさえ肌が敏感なのに園芸をするからだ。猫アレルギーの人に猫好きがいるのと同じで、植物にはあらがえないなにかがあるのだ。
 ベンチがあるここはちょっとした広場になっていて、真ん中の池を囲むように花壇がつくられていた。つなぎを着た人たちがせっせと寄せ植えされた花を植え替えていた。
 遊園地でも水族館でもなく、植物園だから僕は今彼女と同じ時間を過ごしているのだろう。
「もう行きましょうか」
 今日は雨が降りそうなのが心配だった。別の機会にする予定で彼女に電話をしたら、あえなく中止にするわけにもいかなかったようで、食い下がられた。
 案外押しがつよいところもある。
 天気予報が外れてよかった。

 またしばらく歩いて、目的地に到着。ガラスの嵌め込まれた扉を支えて彼女を先に中に入れた。
 あたりまえだが、温室は一面緑で木漏れ日が心地よかった。コンクリートジャングルなんか消えてこの光景に自然と戻ってきてほしいものだ。
 僕は野菜には詳しいほうだが、ここにあるのはどちらかといえば花に近い種ばかりだ。
 彼女は蝶々のようにゆらゆらと花に惹かれていた。
 肩までの髪がスローモーションみたいに揺れていた。
 彼女の手が僕の目線をさらっていく。
 散歩をするのは気負わなくていい。それで、散歩を選んで、彼女が朗らかに笑っているから、自分も楽しんでいるのだと思う。
「菜畑くんは、植物にやさしい目をするから好きなんだ」
「なまえさんは僕のどこをはじめていいと思ったんですか?」
 彼女に、名前でといわれたのをふと思い出してそう呼んでみた。
 体育祭のリレーで走ってるに一目惚れしたの、と彼女はふわりと顔を赤らめた。
「菜畑くんはどうして?」
「なんで付き合ったかですか」
「うん」
「僕は、なまえさんが植物を好きな人だから」
「だよね、知ってた」
 植物を育てる人にわるい人はいないよ。
 どうやら僕の前評判は耳にしていた。
 彼女は僕がひっそり学園の敷地を拝借して野菜を育てているのも知っていた。
 水面のように、淡く光が彼女の顔を流れた。
 上品な睫毛が揺れる。
「あったらいいのにね、園芸部」
 優しく花に触れて彼女はまた僕の先を行った。
 彼女が振り返ってワンピースがさらさらとそよいだ。
「園芸部の温室は、屋上で、南の植物の鉢があるんだよ」
「菜園もつくろう」
「いいねえ」
 蔦の巻きついたアーチをくぐった。僕と彼女とアーチと草木の影が、少しずつ重なって濃く滲んでいた。
「……私ね、告白してきた子を菜畑くんが彼女がいるって断ってるの変だなって思ってたよ。女の子を連れてるのを見たことないし。でも、よく考えたらそのときの私は菜畑くんが笑ってるのも見たことなかった。噂しか知らなかった」
 口には出さないが、僕はあなたのことを校舎裏に呼び出されてから認識した。呼び出されて、校舎裏にある菜園を先生にチクられるんしゃないかと気が気でなかった。用務員はこちらに引き込んだが先生はまだ抱き込みに成功していなかった。
 それが告白だったとわかったとき僕は彼女の故トマ子ちゃんのことをなにとなしに匂わせて断ろうとした。
 正直人を好きとか嫌いとかよくわからない。
 もともと、好き嫌いがハッキリしている性格ではない。一層、僕に熱を上げた女子生徒のことが理解できないものに感じられてきていたけれど、彼女が「植物が好きだ」と言ったから、点だった僕と彼女に線を繋げてみることにした。
「ほんとに彼女がいるのって聞いたら植物が恋人だって菜畑くん、言ったよね」
「それは……ごめん」
 僕は彼女の気持ちを踏みにじったのかもしれなかった。
「あの答え、私以上に植物が好きなんだなってなんでか私が嬉しくなっちゃって、だから菜畑くんと大好きな植物園に来たの」
「なにか無理してますか?」
「疑ってる?」
 なまえさんは僕の手を躊躇いなく取って悪戯に笑みを浮かべた。こんな顔もできるんだ。
「今度はうちの『植物園』を見に来てよ」
 彼女の花園は夏が一番綺麗なのだという。
 カフェで聞いた、彼女が夏が好きな理由がそこにあった。彼女に麦わら帽子の似合う予感がした。
 温室を後にして、昼は園内の屋台村みたいなフードコートで食べた。
 そのままバラ園やプランターのコーナーを巡って、どの花か好みか、談義に花を咲かせた。
 最初から植物の話をして打ち解ければよかった。回り道をした。
 帰り際、駅まで彼女を見送る途中に薄暮の空を彼女はガーベラだと呟いた。あたたかい色をしていた。



初出 2020
よき友のよき創作をお借りしました。
菜畑くんは彼女ができたら誕プレにロフトのカタログギフト渡しそう。

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