プレイデート

 遂に異星人みたいな響きのローマ字読みで呼ばれてしまったのでそれ専用の名前を作ることにした。
 わたしの名前はエスニックネームではあったが、通じやすい方でここまでメチャクチャな呼び方をされたのはほとんど初めてで、遠くで星同士が衝突して砕け散ったのを、何光年先にいるわたし一人だけが聞こえたような不思議な語感が気に入った。
 たまたま休日が被って会うことになったのが昨日の夜。寝たのは日付が変わったあとだから睡眠時間的には不安が残る。だから道すがらエスプレッソを購入しようと決めた。
 彼と居て寝るなんてことはあり得ないのだが。見た映画がよほどつまらないなんてことが起きない限りは。
 カフェインが脳に染み込んで胃に熱さが満ちる。窓際の、ストリートの雑踏が見えるカウンターに腰掛けてライブキャスターの名前を変更した。読み間違えてくれた店員に感謝する。おかしな呼び名をキャッチコピーにしたいくらい気に入っていた。使用料は払わないけど。
 集合時間まではまだ十分少々ある。アーティとの待ち合わせは時にスリリングだ。作品優先でアイディアが現れたら彼は迷わず飛び込んで対峙し捕まえなければならない。ゆれる草むらと同じ原理。「早く着いたから適当に店に入っている。近くに来たら教えて」とメッセージを残す。
 数日前に買った読みかけの本を取り出してしおりを挟んだページを開き、ドラマ化もされている好きなシリーズの新作に浸る。イッシュの本はどれもこれも分厚い。だからペーパーバックの形をとるのかもしれない。
 主人公はイッシュのカントリーサイドの小さな町に引っ越してきた女の子。転校生でそれなりに友達もできて学生生活を送っているところに、なぜかたびたびクラスの中心的存在のイケメンが絡んでくる。その彼はヴァンパイアなのだ。ヴァンパイアの彼を、わたしの脳内ではあの四天王のギーマを置いて再生していた。誰にも言っていないけれど、ドラマシリーズも彼にやってもらいたかったほど、あの怪しい雰囲気、底の見えなさがなんとも似合う。
 コーヒーのいい匂いが鼻をかすめた。本のページを捲る。どちらかというと感情移入する方だ。カップを口に運ぶ。
「今日のその靴、素敵だねえ」
 その声にぎょっとして咽せる。
「とっても集中してたね」
 彼は体をこちらに向けて長い脚を組み替える。立っていても座っていても彼とは目線の高さが合わない。
 サングラスをしていてもわかるカリスマ。ヒウンシティのジムリーダー様。あらためて物凄い人が隣にいる。指通りがわるくてうねりと広がりが問題の、光の当たり加減によっては色素の薄まるくせ毛、モデル顔負けのスタイル、アースカラーを好むファッションセンスはバレる。もとい、本人に隠す気がない。
「あの名前は何? あやうく連絡先を削除しかけちゃったよ」
 わたしは無言で中身の冷えたカップのラベルを見せる。今度はアーティが事情を察して軽く咽せた。目のきわを指で拭う。
「ボクのはねぇ、これ」
 ラベルに印字されている名前は「アーティ」ではなかった。有名人だからなのかと思ったらそれは半分だけ正解だった。友人との時間を邪魔されたくないときにしか使わない名前だそうで、このカフェで長く働いている店員からその同僚へとアーティのプライベートの時間を示す合図にもなっているらしい。「勝手に作られた意図だよ。面白いから放置してる」と彼は続けた。
「そういう複雑な話じゃなくて、実はミドルネーム」
 わざと適当な相槌をした。文字通りの雑談である。
「明らかに興味ないでしょ」
「今は物語の続きが気になって。もうちょっと読んでいい?」
 彼の承諾を得て、目線を戻す。先ほどちらっと壁かけの時計が視界に入った。集合時間前に揃うのは初めてではないか? 二人とも時間に厳密なタイプではない。
 この後は自然公園で散策をする。それで満足したら今日は解散だし、まだ居たいと思うならどちらかの家に行って、大抵はいい音響を持ったアーティ宅で、映画を見る。玄関を入ると油絵の独特の匂いがする家に。彼の住む家の大家はめちゃくちゃ部屋の使い方に厳しい人らしかったけれど、アーティが住むと聞いて態度を一変させて壁に絵でも描いてほしいと言われたとかなんとか。そういうことを言うと彼は描かないと思う。壁はそもキャンバスではない。酔った彼が一度わたしの白地のトップスに油性ペンで相棒のコフキムシを描いた。貰い物のワインが思いのほかおいしくて、ふたりしてペースを上げて、わたしは彼の肩に体重を預けてすぐにバランスを崩して床になだれた。お腹がくすぐったいと思ったら、薄いTシャツに首を傾げたコフキムシがいた。床で可愛くもなく呻いているパートナーとは違い、わたしの可愛いポケモンちゃんはソファでこんこんと寝ていた。一瞬でこんなに描けるものものかという感心のあと、痛みが走った。Tシャツのコフキムシを撫でた右手の親指の付け根を噛まれた。歯型は残らない。横向きに倒れたわたしの腰に彼は頭を押し付けてきて、抱きつかれた。ラグのうえでじゃれて至極幸せだった。
 今日がそんな日になるとは思わない。
 栞を戻して、彼と向き合う。恋愛に理想主義を持ち込まないひとなので、彼の中ではたぶん、このシリーズの評価は高くない。いかにもティーン向けだしな。
 店を出て、公園までの道のりをパパラッチに撮られることもなくに歩いた。撮られても彼はあっけらかんとするだろう。自分を取り巻く大抵のこと、多くは悩んでも仕方ないコントロールの利かない出来事に彼はそういう態度をとる。環境問題は別として。
 好きなひとには花の名前を教えておけというティップスは全く役に立たない。わたしごときが知っている花の名前は彼にすでに標準装備されているから。ベンチの横のゴミ箱に捨てられた表紙を見て、彼はただのゴシップと切り捨てた。火のないところに煙が立ったタブロイド紙だった。あれは半年も前、アーティはポケウッドの受賞歴輝かしい女との記事が出て、世間は軽く浮き立った。わたしがその話を引き合いに出す前に、彼に話題を振ったバカ者がいてくれたので、わたしは真偽を知ることができた。
 間接的にでも、アーティの怒りに触れたのはそれが初めてだった。アンガーマネジメントを投げ出して彼は、自身の感情にわざと触れさせた。相手が羨ましいくらいだった。彼の剥き出しの気持ちがわたしを掠めたことはない。もしそんなことが起きたら、デッドボールになってしまう。さしずめアイアンテールだ。
 手持ちのポケモンを出して遊ばせる。他んちの子と何かがあったら訴えられる可能性があり、ひとときも目は離せない。
「ハハコモリがいるから大丈夫」
 そう言って彼はモンスターボールを模したおもちゃをアンダースロー。わたしたちの愛しきパートナーはおもちゃに一直線だ。うちのビビヨンは飛ぶのが遅くて、ふわふわと鱗粉を撒いて左右に揺れながら他の子の後を追う。しかし、途中で植え込みの低木の花弁の柔らかい白い花に心を奪われてしまう。どんくさくて手がかかって本当に可愛い相棒である。
 アーティにアイコンタクトをしてビビヨンを目指し、駆けて連れ戻す。蜜を味わったビビヨンは嬉しそうに鳴いた。のうてんきな子。わたしの肩に止まるビビヨンのおなかを撫でる。細い脚がわたしの指をとらえる。
 この世でいちばん可愛いいきものがわたしのもとにいる事実で、わたしは世界の中心にいる気分になる。
「ビビヨンはいいねぇ」
「この子はわたしの世界でいちばんなの」
「見てればわかる」
 彼は目を細めた。水面をくるっと混ぜたようにハイライトがゆらめく。笑ったのだと認識するのにコンマ数秒遅れた。背景がぼかされてアーティに釘付けになる。触らせられたと気づいた時には遅いとすでに過去のわたしは言う。
「何……いまのカオ」
 ビビヨンが羽根でわたしの顔をぺちぺちと当てる。
 あんなに切なげにわたしを見たひとはけろっとしている。深呼吸しろ。大前提、この人が大事にしてくれる保証などない。
「ぬう、ほんとう手強い」
「そういうのが効かないだけ。いうなりゃじめんタイプ」
 彼は露骨に顔を顰めた。それもすぐに崩していつもの涼しげな顔つきに戻る。
「ね。もしかして故意に撮られてないよね?」
「ボクがそんなことするとでも。ない」
 別にそこまで言い切らなくても。あの写真も授賞式後のパーティーで見せたタキシード姿がかっこいいなくらいしか思わなかったよ。つけ込まれそうで本人には言えない。とんでもない言い草である。
 手を握られたら離せなくなる。彼の周囲を支配するグラビティーはこの街の人々を引き寄せる。タブロイドを買った人がごまんといる。わたしにはただのしかかってくる重力なので抗う。彼に抱える心の荷物が膨れていかないように、抗いすぎないよう気を付ける。流れに身を任せるとまずいからバランス感覚は養われる。
 普段はおくびにも出さないくせに、蝶のように舞い、針のように刺そうとしてくる厄介な人で、スターの光を降り注がせて蜘蛛のように巣くう。




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