キッチン


 仕事の都合で上京して、知り合いがほぼいないから出かける用事もめっきり減った。自分の時間が増えたといえば聞こえがいいけれど、会社から帰ってくれば最低限の家事をしてすぐベッドに入る日が続いている。
 自炊に楽しかったのは2週間くらいでそのあとは毎日朝は卵かけごはんか適当に買ってきたパンで夜はスーパーの値引きされたお惣菜をもそもそ食べる。一人暮らしは酷だ。丁寧な暮らしは趣味だ。
 そんなときに推しているアイドルコンテンツから、料理器具とのコラボが発表された。公式の情報を見ると、具材と調味料を入れると自動で調理してくれる夢みたいなシロモノらしい。しかも予約機能が付いているから下準備さえしておけば帰宅してすぐ出来立ての料理が食べられるとか。商品のうりが、起動時や調理中にアイドルたちがあいさつしてくれたりメニューをおすすめしてくれたりする点で、実生活のより近くにいてくれる。
 サイトを見たのが深夜だったからよくなかった。疲れと欲求に背中を押されて推しグループの姿がプリントされたコラボ機種を予約購入してしていたのだ。
 買ったのを忘れたくらいにそれは届いた。今では大活躍で、目玉焼きも綺麗に焼けるし、ハンバーグも作れるし、楽できておいしいご飯も食べられるし、推したちの声が聞ける。料理下手の私がつくるよりおいしい。旬の食材もワンポイントアドバイスもランダムで音声が再生されてアイドルが教えてくれる。担当の番がくるのは簡単に考えて49分の1。でもみんな好きだから全然構わない。事務所担でよかった。
 今日は、家で私の大好きなアレが待っている。自分じゃ手間で作らないけど機械は文句なしに作ってくれる。持ち手の部分にチップが入った鍵を読み取り部にタッチして、エレベーターのボタンを弾くように押した。部屋までの足取りも身軽。だって明日は誕生日だもの。前祝いしたっていいじゃない。
 鍵穴を回してドアノブを回す。中で物音がした気がした。回収に出し損ねて玄関脇に置いたまま段ボールに躓いてこけたみたいな鈍い音。私も昨日こけた。オートロックマンションで9階、流石に空き巣も入りづらいはず。何かあったら警察に電話が繋がるように手に持ったスマホのダイアル画面に110番を打ち込んだあと、何もありませんようにと祈りながらドアを開けた。
 知らない人がいた。実際には、知っているがいるはずがない人だ。そもそもこの現実にいない人。その人が自室の玄関で尻もちをついている。
 緻密なコスプレ?
 どう考えても不審者なんだけど……髪はウィッグに見えないし、目もカラコンじゃなさそう。え、がっつり目が合ってしまっている。誰もが想像したことがあるであろう「推しが現実にいたらこんな感じ」の権化みたい。
 私の部屋で推しとするならば完璧な顔立ちの知らない人が推しのコスプレをする理由って?
 畳んだ段ボールが玄関に倒れていて、とりあえずそれをどける。整理がつかない。ドアが半開きのまま、沈黙が流れる。
『事件ですか? 事故ですか?』
 持っていたスマホから女の人の声が漏れ聞こえた。間違ってかけました、大変ご迷惑をおかけしましたと大慌てで平謝りして切る。
 目の前の人は見てとれるくらい狼狽していて、何か盗みに来ましたって感じには見えなかった。
「あの、何をしていたかは後で聞きます、とりあえずなんてお呼びすれば」
 そして、目の前の推しのそっくりさんはあろうことか推しの名前を答えるのだった。
 

2022.10.07




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