CLAP | ナノ
どう足掻いたって
二人の未来が無い話
お仕事を辞めさせて頂くことにしました、と。政府機関CP9長官であり直属の上司に当たるスパンダインに報告したのは、三日前のことだった。理由は告げなかった。告げずとも、退職時に必要な書類に理由は書いてあったから、提出されたそれをよく読めば分かるだろうと思った。最も、彼が書類にしっかりと目を通す人間でないことは、傍でずっと秘書紛いの仕事をしていたわたしが一番知っていたのだけれど。
退職する理由自体はなんてことはなくて、幼い頃から家同士の都合で決められていた婚約者といよいよ結婚することになったから。そんなつまらない理由で彼の、スパンダイン長官の元を離れなくてはいけなくて、わたしはどうしようもなく絶望していた。書類を受け取った彼はただ、そうか、とだけ言ってそれを机の端に乱雑に追いやった。
ああ、どれだけ傍にいたとして、わたしは彼にとって必要な人間にはなれなかった。手離したくない、そう思ってもらえる女にはなれなかったのだ。奥さんも子供もいる、そのひとに恋心を抱いたのは自分なのに。どうしようもなく悲しくて、顔色一つ変えてくれない彼がただただ憎らしかった。
全て忘れよう。この塔に全て置いていこう。夜知らずの眠らないこの島に、あなたへの想いを眠らせていくなんて、わたしにしては大層な皮肉だ。と、ひとり感傷的にもなったというのに、このひとは。
「長官、スパンダイン長官、」
いよいよ明日、エニエス・ロビーを離れるわたしを司令長官室に呼びつけた当の本人である彼は、黙りを決め込んでいた。ソファに足を組んで座り、ひじ掛けに頬杖をついてわたしを視界に入れまいと反対側の宙ばかり眺める姿に、まるで子供のようだと呆れる。
「怒ってるんですか?」
わたしが、結婚すること。聞こえないことをいいことに、心の中でぽつりと呟いたそれは、わたしの願望だ。彼はまだ、こちらを見てはくれない。
「今まで、お世話になりました」
抑えておいた想いが溢れてしまう前に。彼の前を立ち去ろうと思った。あなたは何も言ってくれないままでいい。労いの言葉の一つでさえ、かけてくれなくていい。それがわたしの恋の終わりであっても、あなたは何も知らないままで。
「……するな」
唐突に聞こえてきたその言葉に、深々と下げたままの頭が上げられなかった。
「するなよ、結婚」
何の脈絡もなく、それでもわたしには直接的に響いたその言葉の意味を、どう受け取ったらいいのか。どうしようもなく涙がこぼれ落ちてあなたの顔を見れないまま、ただしゃがみ込むほか無かった。
「そんなの、ずるいですよ」
どうにか絞り出したその言葉に、やっと彼が動く気配がした。ずるいのはお前だろう、そう囁かれた。わたしを抱きしめるぬくもりに、思考はゆるく溶けていき、その言葉の意味も何もかも、考えたくなかった。