Who knows what tomorrow will bring?


 後悔のない人生が善いと、誰かが言っていた。
 しかし、そんな人生など願い下げだ。

「小生は、タイムマシンの存在を認めません」
 エミッタは読んでいた小説を床に放り投げそう呟いた。
 ページに折れ目がついてしまった小説を近くにいたムリフェンが拾い上げ、ぽっかりと空いた本棚の隙間に埋める。
「タイムマシンの有無はともかく、この部屋の本を片付けるのが先決だと思います」
 半ば溜息交じりにムリフェンは床を一瞥する。床に散らばる本、雑誌、新聞の切り抜き……嗚呼、鉛筆に高価そうなペンまで転がっている。この部屋に淘汰された混沌を統べる秩序はないものか。
 ふと、ムリフェンは本棚を見上げる。混沌を集約する、唯一の法則を発見した。

「小生の屋敷に来ませんか? 和菓子屋の近くですし、お茶だって出せる」と、エミッタがムリフェンをラインファルツの屋敷に招いたのが事の発端だった。
 金色の鍵を使い、いざ自室を開ける。視界に広がったのは前述した惨状だった。静かに扉を閉じる、恐らく誘う日にちがもう少し遅れてしまっていたら雪でなく紙の雪崩が起きていたに違いない。
「掃除をしてくるから、この屋敷を色々と見てきたらどうですか? この合鍵が使える部屋だったらどこでも見れますから」と、煙に撒くことをエミッタは考えたがそれは脳内の時点で否定した。
 一癖も二癖もあるラインファルツの面々に鉢合わせでもすれば何を吹き込まれるか容易く想像がつく。
「何もないところですが、どうぞくつろいでくださいな」
 エミッタの口から出た言葉はそれだけだった。そして、黙々と書類と書籍の整理に勤しむ。
「……僕にも、手伝わせてくださいよ。一人だけ何もしないのは、ずるいですから」
 そんなことない、とエミッタが返事をする前にムリフェンは行動していた。

 そして、掃除を始めて二時間が経った。
 整理した部屋は二人がくつろぐには広すぎる印象を与える。隅に紐で縛られた不要な書類の束、必要なものは纏めて机に備え付けられた二段の棚へ。雑誌は寝台の横に置かれたラックに表紙が見えるように飾り立てる。淡い紫のカーテンを開けて窓を開けば、森を抜ける風が夕暮れを告げていた。
「小生が、もう少し整理のできる奴だったら良かったのに。そしたら、そしたら……」
 エミッタは机の上に置かれた団子を申し訳なさそうに見つめる。そのまま視線を宵を誘う夕闇の空へと向けた。
「団子はなにも三時きっかりに食べろというわけでもないでしょう。それに――」
 ムリフェンは残念そうに空を見つめるエミッタに見せ付けるように、雲の切れ間からのぞく光の一点を、中秋の名月を指差しながら続けた。
「月見団子は、夜に食べるものでしょう?」
 エミッタは折れるくらいの勢いで何度も首肯した。

 机を窓に寄せて、椅子を向かい合わせに並べる。机に置かれたランプの橙の光と、月明かりで舞台の出来上がり。役者は皿に盛り付けられた団子三本ずつ、そして似合わぬ薔薇のティーカップに淹れられた緑茶を椅子と同じ数に並べた。
「こんなんで、いいんですかね?」
「素敵だと思います、お茶会みたいで」
「お茶会でしょう、どう見ても」
 二人は顔を見合わせて同時に笑い出す。
「ここで本が読めたら最高ですね」と、エミッタは本棚から薄めの文庫本を一冊取り出して座りなおした。
 読書に没頭するのを防ぎたくて、ムリフェンはエミッタの持つ文庫本をするりと抜き取った。
「本棚を整理して、思ったんです。エミッタの集めるものはファンタジーが多いなって」
 本を奪った言い訳をムリフェンは捻り出す。そんなことを言いたい訳じゃなかったのに。
「好きなんですよ、ファンタジー。勇者が魔王を倒すのも、お姫さまが冒険するのも、妖精が人間と友達になるのも……まあ、小生も実際他所から見ればファンタジーな存在なんでしょうけど」
 だって、小生はとっくに墓に入っておかしくないんですから。
「自分はなんて愚かな問いをしてしまったんだ」と、ムリフェンは自責する。生と死を分かつ超えられない壁がムリフェンの目にははっきりと見える。
 死人だと、認めたくない。その差異を、信じたくない。
 エミッタが笑いかける。嬉しいはずなのに、心臓を鷲掴みにされた気分が拭えずにいた。
 気を紛らわせようと緑茶を啜る。熱いはずのそれがやけに氷を幾つも含んだように冷たく思えた。

「さっき、小生がタイムマシンの存在を認めないって言ったの覚えていますか?」
 エミッタの問いにムリフェンは反射的に首肯した。団子は串だけ残り、緑茶は注ぎ足されている。
「もし、時間を戻して未来を変えてしまったら、未来に行って過去を変えてしまったら、それはとても怖いことだと思うんです。だって、そうしたら今こうやっていることができなくなるんですよ」
 死人だったら、後悔したことをやり直したいって思うんでしょうけど。小生はそうは思わない、後悔も失敗も受け入れてこそ人生は面白いし、何が起こるかわからないから人生は選択肢に満ち溢れている。一度死んだ小生だから、断言できます。
 ムリフェンの双眸に、見知らぬ青年が映る。自信に満ち溢れた笑みを湛えながら夢想を語る、虚構を具現化した橙の髪と同色のコートを纏う細身の青年だ。吸い込まれそうな、菫色の双眸がムリフェンを捉えた。
「貴方は、どう思うのですか? ムリフェン」
 すう、と吐息まで聞こえる距離まで乗り出して青年は尋ねた。ムリフェンは青年の正体を知っている、しかし彼を同一視してはいけない気がした。自分の愛している人は貴方ではないのだ。
「僕は……答えられません、ごめんなさい」
 ムリフェンの謝罪は途中で宵闇を駆ける風がかき消した。そのときに舞い上がったカーテンがちょうど互いの姿を遮断させる。

「それも一種の正論かもしれませんね」
 劇場の天幕を風が引き、エミッタは現れる。ムリフェンが良く知る、少年の姿で。
 ムリフェンが惚けているうちにエミッタは背後に回る。そして、二、三度ムリフェンの首筋に唇を落とした。
 ひやりとした感覚に身を委ねるようにムリフェンはそっと瞳を閉じた。


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Emitter×Muliphen





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