Many a true word is spoken in jest


 事実は小説よりも、奇なり。
 嘘から出たまこと。瓢箪から駒が出る。

 きっとこれは性質の悪い夢なのだ。そうに違いない。

「本気で、そんな格好のまま出歩くつもりかよ」
「激しく果てしなく不本意で不愉快だが、負けたのは私だ」
 絶句した疾風の目の前に立つのは、心底から不愉快そうに眉を顰める一人の女。
 漆黒の髪は赤羽のかんざしでひとくくりにされている。留められたにもかかわらず余りある黒髪がかんざしを鳴らして揺らめく。
 鼻筋の通った顔立ちは精悍さをかもし出しているが、肌の透けるような白さが打ち消してしまっている。
 高い背丈を見繕うような、黒地の浴衣に紅葉が散らばっている光景はさぞ不思議だろう。
 なぜなら、この女はれっきとした成人男子。女装の趣味など、皆無に等しい。
 花札が遊びのひとつ「こいこい」にて「敗者は女装」という賭けをしたところ一点差で疾風が勝利したのだった。
「オニキス、すごく言いにくいけど。その格好の間は一言も喋りたくない」
 黙っていれば誰もが振り向くであろうその姿も、声を出してしまえばその低さから男だと察するだろう。
「安心しろ。私は沈黙が好きだ」
 そういう問題じゃねえよ! と打ち消しの台詞を疾風は口走る。しかし、オニキスは意にも介さずにただ笑う。
「早くしないと、日が暮れてしまうぞ」
「日が暮れてからが、本番だろ」
 いかにも。と、疾風の手を取りながらオニキスは微笑んだ。疾風は顔を赤らめて、オニキスの手を強く握り返した。

「オニキス、なにか見たいもんとか、やりたいもんはねえのか」
 疾風の質問に、オニキスは射的の屋台を指差した。声のない会話でも、成立するものなのだ。
「射的か……。景品は勝手に決めていいよな」
 疾風は射的の屋台の前に立つ。コルク弾は三回分で二百円、狙うは正面から二段上の可憐な色をしたちりめん製の縫いぐるみ。
「若い旦那。そこの美人さんにプレゼントかい?」
 屋台の親父がくく、と笑いながらコルク弾とマスケットを疾風に渡す。疾風から二、三歩下がった位置でオニキスは銃の先を見つめていた。
 五秒だけ、世界が凍て付く錯覚。動くのは疾風の指と、コルク弾だけ。縫いぐるみは微動だにせず、玉座に君臨している。
「まだ、二回分あるぜ」
 疾風はコルク弾をマスケットの銃口に填め込みながら呟く。縫いぐるみの微笑が、嘲笑に思えた。
 その光景がやけに胸焼けしそうに不快で、疾風は舌打ちをひとつする。
「疾風、斜め下だ。首と胴なら、首のほうが重いように見える。顎を叩くつもりで撃て」
 オニキスがその不愉快の原因が命中しないことにあると考えたのか、静かに助言する。
「オニキス、話しかけんな。気が散る」
 疾風の目は、オニキスなど最初からいないように標的だけを見据えていた。しかし、助言のとおりに疾風の指は動いている。そのとおりに、縫いぐるみは大きく傾いて、しかし横に倒れてしまった。落ちていないのだ。
「おっしいなあ、あと少しでプレゼントできたのに。ま、まだ一発残ってるしさ。足りなきゃもう一回再挑戦さ」
 親父の宣伝も兼ねた野次を無視し、疾風は最後のコルク弾をマスケットに詰める。また払うべきか、と心のなかで財布と相談している疾風の思考は一瞬にして乱された。
 
「離せ……っ!」
「いいじゃねえか、少しだけ話し相手になるだけさ。お嬢さん」
「誰が、お嬢さんだ!」
「わあお、強気な女は好みだぜ」
 疾風はぐるん、と振り返る。何時の間に現れたのか、無作法な着流しの男がオニキスの手を掴んで引き寄せている光景が視界いっぱいに広がる。
 黒のオニキスとは対照的に、着流しの男は亡者のそれに近いように白い。髪も、服装も、眼すら。
「一人でこんなとこに出歩いちまったツケさ。可愛がってやるぜ」
 つう、とオニキスの肌を男の掌がいいように嬲る。刹那、男の表情が苦悶の色に染まる。手の甲から流れるのは死者のように白い彼が唯一証明する赤色。
「俺の女に、手を出すな」
 疾風が、白と黒の間に割って入る。その視線は憎悪に似ている。男は唇を三日月の形に歪ませ、くるりと背を向けた。
「あんたの女ならさ、もう少し気の利いた話し方くらいしてやんなよ。『気が散る』って言われたときのお嬢さんの顔といったら!」
 疾風の手の中で、風が回りだす。螺旋を描いたまま尖る風は槍の如く男へと突き刺さる。
「それが出来たら、苦労しねえよ!!」
 苛立ちは、怒りを生む。怒りは、刃を生む。刃は、傷を生む。
「わあお、怖い怖い。じゃあね黒きお嬢さんとサムライな旦那」
 男は背中から血を滲ませながら、それでも軽々しく人ごみの中に消えていった。
 
 疾風は男の言葉を脳内で反芻する。ふとオニキスを見遣れば、いつもの高慢不遜な態度と表情は消えうせていた。
 代わりに存在しているのは、心配そうに見つめる瞳と弱弱しい溜息。
「帰るか、寒くなってきたしな」
「ああ……」
 寒くなった、というのは嘘だ。一刻も早く、この場から去りたかった。意思が、疾風の歩を早める。
 その隣を歩くオニキスは、唐突に立ち止まった。そのまま、道端でへたれこんだ。
「オニキス?」
 疾風はオニキスと視線を合わせるために膝立ちになる。その刹那、弾けたようにオニキスの腕が疾風の身体を抱き竦めた。
 疾風は驚いたように目を丸くして、硬直する。硬直したのは、オニキスの唇は疾風の頬に強く当てられたからで。
「え、え……。オ、ニキ、ス?」
 右に満足すれば左の頬にも送られる唇。そして、最後には唇同士を重ねあう。
「なん、っだよ……。突然、なんなんだよっ」
「疾風が、あのとき止めていなければ私はあの男に同じ真似をされるところだった!」
 恐怖と嫌悪に打ち震えるオニキスの背に疾風は静かに腕を回す。
 ――俺の女に、手を出すな。
 たった十数分前の出来事が、まだ最中の渦にいるようにありありと蘇る。場面を形成する雑草すら、一本残らず再生できるように。
「あの台詞を聞いたとき、お前の強さがありありと見えた。私は、幸せかもしれないな」
 こんな強い男を、独占できる。その権利は、唯一の優越である。
 オニキスは結ばれた疾風の髪を解く。風に流れる橙は月明かりを受けて黄金のように煌く。

「月が、綺麗ですね」
 婉曲をかけて伝える睦言に、宵とともに酔い痴れてしまおうか。
 

Onyx×Hayate
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