石造りの階段は苔が覆って滑りやすい。にも関わらず、カルヴァンは真っ直ぐに一階下へと駆けた。
 ティタニアの剣技で造った道の先に誰かが倒れている。近づくごとにその人物が誰なのかカルヴァンは見当がつかなかった。
「この男はキッド。司書としてワタシを捕まえようとして、剣士のお嬢さんに返り討ちにされたわ。ほら、あそこよ」
 ライルがキッドとティタニアを指さし、説明する。カルヴァンはなぜライルが知っているのか疑問に思ったがそれよりも親友ルーカスが居ないことに気づいた。
 辺りを見回すと石造りの壁を穿ってルーカスが打ち付けられ、その傍にティタニアが若草のドレスを紅に染めたまま茫然と立ち尽くしていた。
「ルーカス!」
「ティタニアさん!」
 カルヴァンとエミールが師弟に駆け寄る。まじまじと見ると、ルーカスの褐色の肌には無数の石片による傷が生じていた。脈と呼吸から僅かながらに生命を保っている。壁面から引きはがすと同時に大きな音を立てて壁が崩れた。
「ひどい出血、はやく手当てしないと!」
 ルーカスの傷は背中にまで及ぶ。肌の色が黒くなりかけているほどだ。
「師匠、家に戻ろう。早くしないとルーカスが……!」
 目を覚まさぬルーカスを背負い、カルヴァンはティタニアに声を掛ける。しかし、ティタニアは虚ろな眼差しだけをカルヴァンに向けた。
「師匠!」
 再度、カルヴァンはティタニアを呼ぶ。しかし、ティタニアはカルヴァンに背を向け、一直線に走り出す。

「弟子をこんな目に遭わせた貴様を、生きてこの森から出すものかァ!!」
 剣を振りかぶり、跳躍する。剣の切っ先は、真っ直ぐに倒れ伏すキッドの胴を刺し貫かんと光った。
「やめろ師匠!!」
 カルヴァンの叫びと同時に伏していたキッドが嘘のように飛び起きる。ティタニアの剣は石畳の隙間に挟まれ、鈍い音を立てて折れてしまった。
「剣聖ティタニアも、肝心の剣が折れた今は、ただのか弱き娘よ」
 老爺のような声が空間全体を包み込む。明らかにこの場に老爺は居ない。
「誰だ!」
「わっちはサディ=フェルナンディアス、青銅司書さ」
 サディと名乗った老爺声の男がカルヴァンらの前に躍り出る。声に反して姿は二十代後半にさしかかった青年のようだ、黄土がかった白髪を高く結い上げている。それより目を引くのは彼の眼が布によって隠されていることだ。肌の露出が顔だけで、服はまるで物語に出てくる魔法使いのようなローブを羽織っている。
 そんな男がさも藁束を担ぐようにキッドを担ぎあげた。カルヴァンは一目でサディが武人であることを見抜いた。

「坊主、よい目をしていんす。名のある武人になりんしょう、かの英雄『オーレント』のように――」
 サディはそう言うや否や、ティタニアの方に向き直る。
「剣聖ティタニア、お噂はかねがね。この者が粗相を致したことは私から謝りましょう。ですが、どうか今は冷静に。怒りにまかせて振るう剣は迷いしか生まないものです。もしまた顔を合わせる時が来るのなら、その時に死闘を繰り広げればいい。きっと、貴女の弟子も完治しているはずでしょう」
 ティタニアは少しだけ逡巡して、剣を鞘に納めた。サディは交渉成立と言わんばかりの笑みを浮かべた。口元だけの笑みがカルヴァンに気色悪さを抱かせた。
 ふと、カルヴァンがサディの足元を見やると彼の足元の影が渦を巻いていた。それは瞬時にサディの体を黒く染めていく。全身が黒い竜巻の中に入ったと思った途端、サディとキッドの姿は忽然と消え失せていた。

「オーレントって、何者だろう」
 カルヴァンの素朴な疑問は風に乗って消えていった。



 



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