「で、これからどうするんだエミール」
 草庵にてルーカスの淹れた紅茶を囲みながらカルヴァンはエミールに訊いた。そんな彼女はもう次の旅に備えていた。その手を休め顎に手を当てて少し考えた。
「私、次はアルハスタに行こうって思ってるの。たしかここから東に行けば着くと思うわ」
 エミールは羅針盤の東を指差して微笑んだ。カルヴァンもその国の名前は知っている。
「太陽の沈まぬ、灼熱の国か。結構かかりそうだな」
「うん、でも私は行かなきゃならないから」
 そう微笑んだエミールの表情は一瞬にして凍りついた。
「ねえ、この湖の先には何があるの」
「この先か? イシューの城跡があるが、今は到底入れそうにもないぞ」
 ティタニアが静止するように答える。しかし、エミールの口から出たのはその間逆の言葉だった。
「そこです、連れてってください!!」

 エミール以外の全員がわが耳を疑った。しかし、彼女の目に嘘は含まれていない。
「見えるんです、聞こえるんです。あの城跡で誰かが泣いているんです!」
「師匠、聞こえますか」
 ルーカスは思わずティタニアに尋ねた。ティタニアは首を横に振っただけだった。
「いや、何も……。勘違いではないのか」
「俺は信じる。エミール、何処から聞こえるんだ」
 カルヴァンはエミールに訊いた。エミールは真っ直ぐ城跡の頂上を指した。
「行くか」
 そう呟くとカルヴァンは城跡へと歩を進めた。
「な、何考えてんだ!? 危険だって、カルヴァン!!」
「そんなの、行ってみなきゃわかんねえだろ」
「そうだけど、そうだけどさあ!!」
 ルーカスはカルヴァンの肩を掴んでこちらに向かせる。真摯な藍色がルーカスを貫いた。
「行くぞ、ルーカス」
 追い討ちを掛けるようにティタニアが細剣を構えた。
「師匠まで、もうっ! 何が起きても助けないからね!!」
 悪態を吐きながらも荒縄を巻きなおすルーカスが臨戦態勢なのが見て取れた。
「行くぞ!!」
「応!」
 カルヴァンを筆頭に一行は城跡の蔦巻く門を潜った。

(出して、ここから出してよ!)
 城跡に足を踏み入れると、聞こえてきたのは少女の叫び。四人は一瞬足を止めた。
「ほら、聞こえた!!」
「一体何処から……それにどうやって此処に!」
「魔導か何かで騙してたりしないよね?」
「声はこの階段の先だ!」
 ティタニアが先陣を切って前人未踏の深き城跡の奥へと走り出した。

 苔むした城跡の入り口を過ぎれば一面に広がるのは大量の土砂を含んだ水溜り。此処を過ぎれば泥だらけになるのは避けられない。
「まるで沼だわ」
「どうやって形成したんだろうね」
「四の五の言うな、行くぞ」
 今度はカルヴァンが先陣を切って土砂水の中に足を踏み込んだ。泥水に覆われる不快感に眉を顰めながら先に待つ階段へと進んだ。
(出して、狭いのはいや!)
 少女の声が大きくなる。泥に塗れた足で階段を登れば足跡から飛沫が上がる。
「上!」
 エミールが階段の先に待つ光を見つける。一行はそれに向かって上り続けた。

 次に一行を待ち受けていたのは、部屋を覆いつくすほどの倒木たちだった。大の男の身の丈以上に折り重なっているそれらは侵入者を防ぐ壁のよう。
「まだ続くのぉ!?」
 ルーカスは驚愕に目を見開き見上げた。
「なんだ、怖気づいたのか?」
 カルヴァンは倒木の先を見上げながら訊いた。ルーカスは半ば不安げな表情を見せながらも
「誰が怖気づくもんか!」
 と強がりを見せた。師、ティタニアの居る手前で逃げる訳にもいかない。
「ルーカス、下がっていろ。道なら我が造ろう」
 そんな弟子の強がりも師の前ではかわいいもの。ティタニアは三人の前に立ち、剣を正眼に構えた。そして、深く息を吸い込み尖らせた吐息とともに縦一文字に空を裂いた――!
 地響きの如き轟音とともに、倒木は真っ二つに裂けた。人ひとり通れるくらいの道が剣の先に広がる。
「先にまた階段か」
「一番上の階にあの子がいる!」
 カルヴァンとエミールはティタニアの造った道を通り階段を駆け上がる。ティタニアとルーカスも後へと続くが、はたとルーカスの足が止まった。
 カシャンカシャンという靴音にしてはやけに重鋼な、金属の鎧が歩く音が背後に響く。ルーカスは衝動的に身を捻り背面跳びの体勢で跳躍した。
「誰だ!!」
 ルーカスが跳んだ刹那、突風が刃の如く師弟を襲う。
 しかしそれは明らかに自然由来ではなく、ティタニアの繰り出す剣技に酷似していた。
「ちっ、外したか」
 突風が止んだと思えば、一人のフードを被った男が師弟の眼前に姿を現した。
「何奴、名乗られよ。素性の判らぬ者を斬るつもりは毛頭ない」
 剣を鞘に収めながらティタニアは訊いた。それを聞いた男はそうだな、と己が身を包むフードを取り去った。
「だが、自分から名乗るってのが礼儀ってもんだろ?」
 フードを取った男は線の細い少年だった。だがカルヴァンやルーカスと比べれば少年のほうが幾分か年上だと誰が見ても思うだろう。前になるにつれて長くなるように切りそろえられた髪は赤銅色をしており、鶏冠の如き前髪のみは硫黄色をしていた。その下の眼はうっすらと細められ唇も三日月に歪んでいた。
 装束は袖を剥いだどこぞの世界でいう「陣羽織」の下に「鎖帷子」を着込んでいる。「袴」にしては膝上よりも短く左の腿を覆うように黒い円のような刺青が施されていた。その下を同じく黒い「脛巾」が靴の役割をしている。
 何より師弟が異形だと思ったのは彼の腕を守るようにつくられた金属の「篭手」の側面に備えられた斧の如き刃だった。前の突風はこの刃によって起こされたものだと言ってもいいだろう。少年が動く度にカシャンカシャンと鳴っていたのはその刃だったのだ。
「我が名はティタニア、ティタニア=アレインだ」
「そうか、アンタが剣聖の――。オレはキッド。ベンジャミン=キッドリッパーだ。肩書きはそうだなぁ、『青銅司書』ってところだ」
「ほう、司書か」
 初めて相対するはずなのに二人の刃物使いは何も臆することなく笑顔を浮かべている。だが、それはルーカスがティタニアの名を呼ぶ前に殺気立つ戦闘へと変貌した。


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