「要するにさあ」
 ばり、ばり。と、わざと大きな音を立てながらクッキーを齧る。許可を得ずに胃袋におさめたそれは少しの塩気とココアの香り。
 怪訝そうに失せていく焼き菓子とその元凶である青年をセティは交互に見遣った。
「女の子は砂糖菓子で出来てるんだよん」
 馬鹿らしい、とセティは嘆息した。酷いなあ、なんだいその反応はさあ。と、青年が浅葱の長い前髪を揺らしながらむくれる。口を開けばあのこが可愛い、あの女性は綺麗だとゴシップを追い回す記者のように女をえり好みする男が組織の一端を担う長だとは思えない。性懲りもなくクッキーに伸ばされる手の甲をはたくとその衝撃で出来たばかりの菓子たちも皿ごと落としてしまった。耳をつんざくような破壊の音が、セティの脳を揺さぶる。嫌な音だ。
「ああ、勿体ない」
 割れた硝子の破片があるとも知れぬ床に落ちた菓子を青年は摘まんでは口に運んだ。親指から痛みもなく流れた血を見たときにはセティは青年の手首を掴んで床から引き離していた。
「馬鹿か、お前は」
 馬鹿だよ、俺は。どうしようもなくね。
 自嘲の笑みを浮かべながら、青年は長くもない舌を伸ばして親指を紅く滲ませる血をべろりと嘗めとる。ぞくり、背筋に粟が立つ。
「御馳走様」
 嘲笑とはまた違う、それでいて軽視するような眼差しで、青年は嗤った。その笑みがセティに抱かせたのは反吐が出るような嫌悪感だった。そして僅かに抱いたのは、恐怖。
「次はないと思え、カルサ=マンチェルロ」
 名を呼ばれた青年――カルサは、脂のせいで少しだけ黄ばんだ歯を見せながらやれやれと肩を竦ませた。反省の色などとうに掻き消えている。膝についた埃を払い、コートの右側のポケットから掌に乗る程度の大きさをした木製の小箱を取り出し、その中に入っている絆創膏を親指に巻きつけた。ガーゼの部分からうっすらと血が滲むのが見えた。
「おお、怖いなあ、セッちゃんは。小さい子に泣かれそうだねえ」
 きゃらきゃらと鈴の鳴るような独特の声音でカルサは嗤う。男にしては高すぎる、耳が痛くなる嗤い方だった。
 セティは笑みひとつ浮かべずシンクに置かれたグラスに水を注ぎ、酒のように呷った。脳裏に浮かんだのは、自分の作った菓子を嬉しそうに頬張る幼い弟の姿。安堵しきっていた幸福は束の間。それは硝子を叩き落とすよりも簡単に壊れると知りながら。
 嫌味な高笑いではた、とセティは目の前の世界に弟がいない現実を突きつけられる。つんざくような嗤いは耳だけでなく全身をぐさりぐさりと刺してゆく。ああ、五月蠅い。痛い。
「滑稽だねえ」
「俺を嘲るのがそんなに楽しいか」 
 なおも嗤い続けるカルサの声を遮るように、否、堰き止めるようにセティはその細い首に両の手を掛ける。殺意にも似た感情がセティを衝き動かす。ああ、この男の嗤いは嫌だ、厭だ。消え失せてしまえ、潰れてしまえ。
 かふ。と、漏れ出た吐息にすら嗤いが含まれているような気がした。直感だが、この男は死ぬ間際でも口に三日月を浮かび続けるに違いない。今も苦悶の喘ぎの合間にきゃらきゃらと聞き飽きた嗤いが響くのだ。
 かすれて声にならない息が長い浅葱の髪を揺らした。殺すまでいかなくとも喉を絞められれば痛みは響くに違いない。首から手を離したと同時にカルサは膝を落とし、咳き込みながら空嘔吐を繰り返した。その表情に最早嗤いなどなくただ苦悶に呻きながら床ばかりを見つめていた。
 
 不思議と、心配より、後悔より、安堵を最初に感じた。

飽和水溶液の末路




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