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ノヴァーリスの青い花
「す、すす、すみません!!!」

誰よりも早く席を立ちタオルで吸水活動に勤しんでくれたのは、銀髪の彼であった。そう、私の隣の席でもなければジュースをぶちまけたわけでもない彼である。見ず知らずの私にここまでしてくれる、人の優しさに思わず涙が溢れそうになった。
一方私の隣の席でもありジュースをぶちまけた張本人でもある奴はどうした?睨んでやろうかと隣を盗み見ると、先程までの満面の笑みとは一変したおろおろとした案配でしょんぼりとしてしまっていたので怒るに怒れなかった。ここで怒ってしまったら、小さな子供相手に本気になっているようなやり場のない気分になってしまうような予感がしたのだ。…恐らくこの金髪くんは今までの人生における苦境もこのようにして無意識に乗り越えてきたに違いない。なんて得な人間なの。

「あ、あのっ、ごめんね」

そんな彼が、謝った。タメ語なのが少々気になるが、連れを見る限り恐らく彼の方が年上であると見たのでまあ許す。そんなことも含めてダブルの意味で「大丈夫です気にしないで下さい」と返すと、「いやでも濡れちゃったC」と眉を下げた。そんなことは私もわかっている。

『大変お待たせいたしました〜まもなく発車いたします〜』
「あ、あのねっ、俺んちクリーニングやってるからこれからもし時間あったらお詫びに…」
『次は〜○○〜○○〜』

思わぬ提案を受け、自分の洋服を見下ろす。お気に入りのキャメルのジャケットからドットのスカートまでもが濡れてしまっている。彼のお詫びの行為にあやかるのもアリかもしれない。うーん、でもこれ以上面倒くさい付き合いは避けたいというのが本音だ。

「あー、私次の駅で降りるんで、お気持ちだけありがたく受け取っておきますね」

じゃあ失礼します、と本をかばんの中にしまって立ち上がると、思った以上に身体中が湿っているような感じがして気持ちが悪かった。最後に銀髪の彼が本当に大丈夫ですか?と言って綺麗にアイロンがかけられたハンカチを差し出してくれたので一瞬躊躇ったが、受け取ることにした。これに免じて金髪のことは忘れてやろう。

「…部員の不祥事の責任は俺がとる」
「え?」

突然そう言ってドアが閉まる直前にあの偉そうなハーフっぽい人が私と一瞬にホームに降りてきたもんだから、車内に残されたイケメンたちは一様に驚いた顔をしていたが、一番驚いたのは私である。



「ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン」
「は?」

ハーフっぽいと思っていたら本当に外人さんだったのか。いきなり謎の言語を喋り始めた。

「『青い花』か。なかなか趣味が合うんじゃねーの」
「は、はあ」

何だかよくわからないけれどとりあえず頷いておくことにした。それからそのハーフさんは携帯電話を取り出し電話し始めた。

「おい」
「…何でしょう」
「着いて来な」

何かこうリアル俺様みたいな痛い人に出会うのは始めてで名前さんは戸惑いを隠しきれません。

…ブックカバーが青い花というドイツの小説の装丁のリメイクだった、なんてことを知ったのはまた後の日。


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