5$で抱いてやる | ナノ
ロスタイム
暑い。腕をまくり汗を拭った。この異様な暑さは、私が今している作業に起因している。
…私はいわゆるアイロンがけをしていた。スチームが体温を上昇させる。何度もくじけそうになったが、今このスチームを浴びに浴びている布と比べればこんな暑さどうってことないだろう、なんてどう考えても暑さにやられたとしか思えない考えまでもがしきりに浮かんでくるようになってしまった。
普段はめったにアイロンがけなんてしない。それどころか、最後にそれに触ったのは確か中学校のときの家庭科の授業以来だ。
そんな私がどうしてアイロンがけなんかしているかと言うと…。

「…よし、綺麗になった」

しわ一つないその布の端と端を合わせ、慎重に折りたたむ。真っ白なハンカチは余計な装飾が施されていないにも関わらず、洗練された雰囲気で上品だ。…まるで私が彼に貰ったドレスのように。
そう、このハンカチは言わずもがなあの紳士鳳くんの所有物である。今日ようやくお借りしていたものを返す約束を取り付けたのだ。

私は自分が知らず知らずの内に鼻歌まで歌っていたことに気付いた。
私がこれほどまでにご機嫌な理由。だって、鳳くんにハンカチを返しにいく→氷帝学園に行く→跡部さんに会えるってことでしょ?もちろん彼にももう伝えてある。多忙な彼とはなかなか顔を合わせることができなかったのだが、それが今日ようやく果たされるのだ。

ハンカチがしわくちゃにならないように慎重に鞄にしまうと、私は最後に鏡の前にしゃんと立って身だしなみを確認した。

「…よし」

跡部さんに会うのは、未だに若干の緊張を伴うが、浮き足立った気持ちで階段を駆け下りた。



「遅せーよ」
「…え?」

玄関のドアを開けると、そこには想像もしていなかった光景が広がっていた。住宅街に不釣り合いな黒い高級車も、不思議なことに見慣れてしまった。その後部座席から顔を覗かせていたのは間違えなく跡部さんだ。

「な、何でいるの?」
「迎えにきたに決まってんだろ、アーン?」

彼の突飛な行動に振り回されるのにも慣れてしまった。跡部さんは呆れた私を見て、不敵に笑った。そしてこう言うのだ。

「一億で乗せてやる。…払えねえっつうんなら、それなりの対価を払ってもらおうじゃねーの」

私唖然とした。一億円なんて手にしたこともないのに、その価値がわかるものか。

悩みに悩んだ結果、窓から顔を出した跡部さんにキスをした。恐らく私の顔はこれ以上ないくらいな真っ赤だ。やがて近すぎる距離がほどよいものになると、跡部さんが満足そうに微笑んでいるのがわかった。

…その笑顔の価値は計り知れない。


0621