5$で抱いてやる シャンデリアは眩しく、優雅なクラシックは耳に優しい。だのにこの広い空間には私と跡部さんたった二人しか存在しない。パーティーという言葉の定義付けを再度よろしく頼む。 「食事はもういいのか」 「ああ、うん。ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」 二人ではとてもじゃないけど食べきれないほどの食事を遠慮なく堪能させていただいた。そうやってお腹がいっぱいになったころ、ようやくこの空間にも慣れてきた。 「…あの、ごめんなさい。私今日本当は来ないつもりだったの」 正直に白状すると、跡部さんは私の頭をおどけた様子で小突いた。 「そのぐらい想定内だ。しかしまさか仮病を使ってくるとは…」 そう言って肩を震わせながら笑っているので、私はなんだかいたたまれない気持ちになった。…何だ、バレバレだったんだなあ。私の意向がわかっているというのに、強引にパーティーにまで持ってきた跡部さんってちょっと意地悪だ。 「ただ、最終的にお前がこうやってここに来てくれるかどうかは、完全に賭けだった」 それからすっと、跡部さんが長い指で私の肩に触れた。 「それから、まさかその服を着ているとは思わなかった」 「…着ない方が良かった?」 何だか複雑な言い回しに、やっぱり着てこない方が良かったのか、なんてふて腐れた。 「バーカ。…前よりも似合ってるぜ」 …今日は褒められてばかりだ。少し照れ臭くて、話題を変えた。 「…何で、私を誘ってくれたんですか」 そう、ずっと気になっていた。学園のアイドルみたいな跡部さんが、たまたま電車で会っただけの私にここまで良くしてくれる根拠がない。彼のような人だ。まさかただの同情で私を気にかけてくれるとは考え辛い。 …もし彼が「跡部さん」でなかったら。他の人だったら、私はいとも簡単に自惚れてしまっていたことだろう。「ああ、この人は私のことが好きなんだな」なんてね。 しかしこの後すぐ、彼の口から衝撃的な発言が飛び出すのを私は聞き逃さなかった。 「俺がお前を気に入っているからに決まってんだろ、アーン?」 「……え」 「…口開いてんぞ」 指摘されたが、開いた口が塞がる気配は一向にない。…気に入っているって、どういう意味なんだろうか。 跡部さんがゆっくりとこちらに向かって歩みを進める。そんな彼を、私はじっと見つめている。今の距離感は私と跡部さんを比喩しているものだ。今までもこれからも、この関係が破綻することなんて考えられなかった。パーティーが終われば私と跡部さんはただの他人に戻る。そう信じて疑わなかった。 それでも跡部さんが目の前に来てしまえば、そのアイスブルーの瞳に魅了されずにはいられない。その瞳で、彼もまた私をじっと見つめた。 「名前」 突然名前で呼ばれて、思わず肩が跳ねる。しかし今度は跡部さんも私を笑ったりしなかった。その瞳はおそらく真剣そのものであった。 ◆ 夜が更けてしまった。携帯も持たずに出てきてしまったから、お母さんが心配してるかもしれない。 しかしそんな心配はどうやら杞憂に終わったらしい。彼によると、家にはもう連絡をしていてくれたらしい。また、私を家まで送ることを条件に夜の外出を許可してくれたのだ。 外に出ると、当然の如く跡部さんを待っていたのはあの黒くて長い車だった。今まで何度か見てきたけれど、そういえば実際乗るのは初めてだ。少し緊張しながら車内へ潜り込むとすぐに車は発進した。 「…楽しんだか?」 「うん。…とっても」 車内での会話はどことなくぎこちなかった。あんなに大きかった跡部邸が、だんだん小さくなっていく。静まり返った住宅街は明かりも少なく心もとない。まるで迫り来る別れを示唆しているみたいだ。 気付けば見慣れた家が立ち並ぶ路地に侵入していた。角を右に曲がれば私の家が見えてくる。ほら、もうすぐ。 「着いたぞ」 「…送ってくれてありがとうございました」 ぺこり、と頭を下げてドアを開けて外へ出ようとする際、勢いよく頭をぶつけてしまった。…痛いしかっこ悪い。 「なーにやってんだ、お前は」 跡部さんが笑うと、張りつめた空気が少しだけ和んだ気がした。私も心が軽くなって、気を取り直してもう一度外に出ようとすると、突然跡部さんにぐいっと腕を引かれた。…何が起きたのかはよくわからなかったが、ものすごい近距離に彼の顔を認識した途端、頬に触れた感触に気付いた。 「俺様は跡部景吾。氷帝学園中等部テニス部部長だ」 「え、」 「文句があるなら直接氷帝に来い。じゃあな名前」 そう言うと、住宅街に不釣り合いなその車は再びエンジンをうならせた。それはどこかで一度聞いた言葉だったけれど、跡部さんは今まで私が見たどの瞬間よりに優しい顔をしていた。 頬が、あつい。 0614 もう少しだけ続きます |