札束の波に乗れ 「キミが苗字さん…だよね?」 その台詞はもう聞き飽きた。が、敵陣に乗り込んだ私にその男の子は、綺麗に切り揃えられた髪をなびかせ優しく微笑みかけてくれた。 「跡部が振り回しちゃったみたいでごめんね」 「あ、いえ」 そう謝られてしまえば、はい迷惑です!!とは言えなくなってしまう。彼は部室に物を取りにきただけのようで、跡部もうすぐくるからねと言って部室の扉に再び手をかけた。しかし途中で手を止めてこちらを振り向いた。 「跡部が自分から女の子を誘うなんて初めてのことなんだ」 「…?」 「だから、仲良くしてやってね!」 「ちょっ…、」 そう言って今度こそ彼は部室を去ってしまった。何だよどいつもこいつも跡部様推奨派かよ。…でもそれだけ慕われてるってことなんだろう。ここ数日彼と彼の周りの人々によって“跡部景吾”を見せつけられてきた私もまた、彼に引き付けられる内の一人ではあるかもしれない。パーティーに参加するかは別として、ね。 ◆ 「待たせたな」 跡部さんがタオルを片手に部室に入ってきたのは、謎のおかっぱ少年(そういえば名前も聞いてない)が出て行ってから程なくしてからのことであった。 汗を滴らせていても麗しい。このアイスブルーの瞳が私を見ていると思うと、不思議な感覚だ。だってまだ私は跡部景吾という人物をブラウン管越しに見ているような気分でいるのだ。 「…何だ」 「いえ、何でも!」 あまりに見つめすぎてしまっていたのか、跡部さんがその整った眉毛を歪ませた。でもおかげで現実を見ることができた。私は今、他でもない跡部景吾という男の目の前に座っているのだ。 「…お前、何で敬語なんだよ。俺より一つ年上なんじゃねえのか、アーン?」 思わず「それは“景吾”だからです」と言おうとして口をつぐむ。落ち着け私、今ここにいるのはいつも一緒に馬鹿騒ぎしている友達じゃないんだぞまったく。 そして「私が敬語なのはあなたが偉そうだからです」と続いて出てきそうになった答えも慌てて飲み込んだ。 焦りに焦った私の口から出てきたのは、小さな疑問であった。 「…私、年齢言ったっけ」 「俺様の手にかかればそんなんちょろいもんだ」 そう言って不敵な笑みを浮かべた跡部さんに勝てそうにない。 今まで立ちっぱなしだった彼は、ようやく優雅な動作で目の前のソファーに腰を下ろした。はて、今時の中学校は部室にソファーがあるものなのだろうか。 「さて本題だ」 私はごくりと息を飲んだ。途端に日吉くんの「無事に帰ってこれるといいですね」という言葉が脳裏によぎる。私の頭の中にはもうどうやって断ろうか、という考えしかなかった。 「明後日の夕方5時、迎えに行く」 「…は?迎えに行くって…」 「無論、お前の家にだ」 衝撃的な発言がこの男の口から飛び出した気がするけれど、それよりも私は話が参加することが前提で進んでいる事実に焦っていた。おいおい、このまま流されるなよ私。 「じゃあな。しっかり準備して待っていろよ」 「あの、私は」 「…それから」 跡部さんは私の言葉を遮ると、ソファーからずいっと身を乗り出して私に顔を近付けた。 「もう一度お前のドレス姿が見られるのを楽しみにしている」 そう言うと立ち去ってしまった。顔の近さと(お肌もすべすべだった)その言葉に大層驚いてしまった私は、とうとうお誘いを断るタイミングを失ってしまった。どうするの。 「…とりあえず帰ろう」 混乱する頭をよそに、身体は至って冷静であった。私は近くに置いてあった自分のかばんを手に、部室を後にした。 校門をくぐる際、すれ違った忍足くんが不敵な笑みを浮かべていた理由は今になってもわからない。 0531 |