朝いつも通り教室に向かっていると、道中の廊下がやけにざわついていることに気付いた。そしてそのざわざわは、次第に私に向けられた注目だということを理解した。 「な、なんなの…?」 しかし生憎これだけの注目を集めるようなことをしでかした覚えはなかった。 「名前!!」 自クラスの前の廊下にたどり着くと、見知った友人が私を見て声を上げた。 「ねえ、どうしたのこの騒ぎ…」 「あんた、丸井くんと別れたの!?」 「……は?」 思わず耳を疑ってしまうような発言が彼女の口から飛び出して、私は固まった。…私の記憶が正しければ、私と丸井は特にいざこざもなく仲良くやってきたはずだ。それなのに、この噂は何なのだろうか…? 「ほんと!?本当に別れてない?」 「う、うん」 「…じゃあ何かあったの?」 「いや、何も…」 なおも問い詰めてくる友人。いや、むしろこちらが訊きたい。何かあったの?と…。 彼女は私の腕をむんずと掴むと、有無を言わさず私を教室の中へと引きずりこんだ。そして私は目の前の光景に目を見開くこととなった。 「ま、丸井…?」 「おっ、名前じゃん。相変わらず遅刻ギリギリだなー」 丸井はけらけらと笑った。つられて私も笑い返す。確かに朝練で早朝から学校に来ている彼に比べて、私は毎日遅刻寸前の時間に登校している。決して褒められたものではない。…いや、私はそんなことを言いたいのではない。 「あ、あの、丸井。…髪の毛どうしたの…?」 「ああコレ?ただのイメチェンだよイメチェン」と言って丸井が自身の髪に手を伸ばしてくしゃりと崩した。 …突然ですが皆さんは、丸井ブン太と聞いて何を思い浮かべますか。多くの人が、彼のトレードマークである赤髪を真っ先に思い浮かべるでしょう。最早あのカラーが彼のアイデンティティであると言っても過言ではない。それに、丸井本人もあの髪を大層気に入っていたのだ。(風紀委員たちの注意なんて聞きやしなかった) その髪が、今、黒い。真っ黒だ。たとえるなら雲一つ見当たらない、吸い込まれるような夜空のようだ。…ちょっと自分でも何を言っているのかよくわからない。とにかく、それぐらい私は動揺していた。 対して、周りに集まっていた生徒たちは彼の“ただのイメチェン”発言を聞いて納得したのか、各々の席へ戻って行った。展開に着いて行けていない私も、チャイムが鳴るのを聞いて渋々席に戻った。 ◆ 授業になど集中できるはずもなかった。なんせ、いつも教室後方から見えていた赤髪が見当たらないのだ。少し気持ち悪いことを告白するが、私はいつもこの席から見える赤髪を見つめることを日課にしていたのだ。…それなのに。 (調子狂う) 重いため息を吐きながら机に突っ伏そうとしたところで、横から肩をとんとんと叩かれた。 「…仁王」 「いきなりあんなことをしでかすもんじゃから、皆丸井が失恋したもんだと勘違いしとったぜよ」 「そんなこと私に言われても…。ていうか仁王、あんた何か知ってるの?」 「プリッ」 「ちょ、ちょっと」 仁王は言いたいことだけべらべら喋ると、さっき私がしかけたように机に伏せてしまった。名前を呼んでも返事はない。 (私に何か隠してるのかな…) 恋人に隠し事をされて、良い気分になるはずかない。私はもやもやした気持ちのまま、視線を窓の外に移した。 ◆ 「名前〜!今日部活無いしお前ん家行っていい?」 放課後、丸井にそう言われて私はドキッとした。確かに付き合いも長い丸井は私の家に来たことも何度かある。しかし今日は訳が違う。 「…あ、ご、ゴメン。今日親いるんだよね」 そう。今まで丸井が家に来たのは、私の家が無人のときのみであった。親に彼氏を会わせるというのは、私も気恥ずかしい。だからずっと避けていたのだ。今日もそんな感じで断り、丸井も理解してくれた、はずなのだが。 「…そうじゃなきゃ意味ねえっつうの」 「え?」 「いいから、早く行くぞ」 「ちょっと、ま、丸井?」 どうしたことか。丸井は私が親がいるからと断ったにも関わらず、強引に私の腕を掴んで、私の分のカバンまで持って、下駄箱に向かっているではありませんか! ◆ 私の家までの道はどうやら完璧に覚えているらしい丸井。私の静止などよそに、おそらく慣れていないであろう道をずんずく進んでいる。 「まっ、丸井ってば!」 私がそう呼ぶと、彼はようやく歩くのを止めた。しかしもうそこは私の家の目の前だった。 「丸井、今日おかしいよ。か、髪もいきなり黒くしちゃうし。…似合ってるけど!私に相談ぐらいしてくれても…」 俯きながら、思わず本音がぽろぽろと零れでた。私は怖かったのかもしれない。私の知らないところで変わっていく丸井が。 しばらくして顔を上げると、そこにはにっこり顔の丸井がいた。 「さて問題です。今日は何の日でしょうか」 「………?」 「正解は、一年前に俺とお前が付き合い始めた日でした!」 「あ」 さ、最低だ!!こんな大事な日を忘れるなんて!私は頭を抱えたくなった。普通こういうのって彼女の方が気にしていないか…?ああ、なんかもう…やだ…。 一人で落ち込む私をよそに、丸井は相変わらずの笑顔だ。そして、彼はこう言い放った。 「…そろそろ挨拶に行く頃だと思って」 「え?」 「お前のカーチャンとトーチャンにだよ」 「…もしかして、それで黒髪!?」 「学校の奴らにはナイショな」 恥ずいから。そう言って丸井は私の家のチャイムを堂々と鳴らした。もう止める術などない。私が自分の家の真ん前であわあわしている一方、丸井は至って落ち着いていた。黒染めして心まで入れ替わったのだろうか。 次の瞬間私の耳に入った声は、 「名前さんとお付き合いさせていただいています。丸井ブン太です」 ーーー 黒染めと聞いて真っ先にこのお話が浮かびました。丸井くんはテニキャラの中でもトップクラスのいい子だと思っています。 リクエストありがとうございました。 |