「ハイこれ」
翌日学校に行くと、校門に芥川慈郎が立っていた。彼はキラキラした瞳で私に一枚の紙を突き出してきた。思わず受け取ると、まるで早く読め、とでも言うように彼の目が急かしてきたので、仕方なくその場でその紙に目を通した。
「…何これ……にゅ、入部届け?こんなのいつ…」
「きのー」
よく見るとその用紙は明らかに手書きで(線もなんか絶対フリーハンドだ)、一見ちゃんとした書類に見えてしまったことが悔しいぐらいだった。
「苗字部、マネージャー……?」
「ねえ、ホラ早く承認してよー!」
「………馬鹿なの?」
思わず本音が漏れたが許してほしい。が、芥川くんはそんな私の不躾な発言にも大笑いして、私のサイン(必須らしい)を待っていた。
「今の時期、苗字部に入りたいなんて人貴重だよ〜?」
「あーはいはい…」
いつの時期だってそんな人いないわってツッコミは心の中で済ませて、お望み通りボールペンでその紙にサインを書いた。
「いやったー!これで俺帰宅部そつぎょうだCー!」
「…あ、」
その言葉を聞いてふと思ったことだが、もしかして芥川くんは淋しかったのかな?部活を早々に引退することになって、いつも一緒にテニスだけを見つめてつるんでた仲間たちは今や参考書とにらめっこだし、突然毎日補習の夏休みがやってくる、なんて。…私でもキツイ。
「じゃあ、補習終わる頃にまた苗字さんとこ行くから!」
「…え、あっちょっと!」
「じゃあねー!」
こうして私と芥川くんの一夏の奇妙な関係が始まった。
◆
「…マネージャー、こいつなんなの?」
「え?」
一日の練習が終わり部員たちより先に部室へ向かうと、中には忘れ物でもしたのかキャプテンの姿があった。そして彼が不審に思いながら指差す先には、
「あ、芥川くん」
「何、マネージャー知り合い?こいつ確かテニス部レギュラーのやつだっよな」
「あ〜うんそうだっけ…はは」
思わず渇いた笑いが漏れる。確かに補習が終わった後に私のところにくるとは言っていたが、まさか部室に居座っているとは。そしてやつは当然のごとく寝ている。
「皆がくる前に何とかしろよな…」
「ええ…は、はい」
何とかと言われましても。とりあえず眠る芥川くんの肩を気持ち強めに揺すってみる。が、起きない。…ちょっと、さっそく苗字部に大きな陰りが見えるんですけど…。
「あくたがわくーん」
そもそも苗字部(自分で言ってて恥ずかしくなってきた)の活動とはなんなのだろうか。昨日彼はマネージャーのマネジメントをするのだと豪語していたが、私はどのようにマネジメントされてしまうのだろうか。
「あ」
そんならことをぐだぐだと考えていると、芥川くんの大きな瞳がゆっくりと持ち上がった。
「………」
「…おはよう」
「…おは、あっ、苗字部……」
芥川くんは寝ぼけているようで、終始わけのわからないことを口走っていた。
「あ〜、ごめんね〜。仕事してる苗字さんのサポートするつもりだったのに。もう部活終わっちったでしょ」
「…部活は終わったけど、私はまだ部誌残ってるから仕事あるっちゃあるよ」
「マジマジ?!じゃあここでやってよー!」
「あ、うん」
部誌を書く作業なんて、見てておもしろいものじゃないと思うけどなあ。私がその十分すぎるほどに使い込まれたノートの表紙を開くと、横で見ていた芥川くんが驚きの声を上げた。
「うっわ〜なにコレ。すんげー書き込まれてんじゃん!全部苗字さんが書いたの?」
「そうだけど、テニス部にもこのくらいあったんじゃないの」
そう言うと、芥川くんが「マジ?俺そんなん気にしたことねーや」と笑っていた。
普段とは違い、隣に人がいる中で行われる仕事は、案外捗った。おそらく一種のプレッシャーのようなものをこの男から感じているからだろうか。
なにより、自分の書いたものにあれこれ声を上げながら反応してくれる人がいるということが、私にとって新鮮なことであり、ちょっぴり照れ臭かった。
「お、宍戸だ」
宍戸くんのページに差し掛かると、芥川くんは身を乗り出す興味を惹かれていた。
「…ふーん。あいつ頑張ってんじゃん」
私がノートに書き連ねる宍戸くんの練習内容を見て芥川くんは満足気に目を細めた。
◆
「ごめん、眠かったでしょう」
すべての部員のページを埋め終わる頃には、すでに夜の7時を回っていた。芥川くんはふわふわしながらも、完全に夢の世界に入ってしまうことはなかった。
「んー、大丈夫…」
どう見ても大丈夫そうには見えないんだけど…。
「苗字さん、おつかれ」
そう言ってくしゃりと笑った芥川くんは、私には眩しすぎた。
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