気取った足音に、いつも笑ってしまう。夜の石の地面にわざとらしい踵の音が響いた。いつもは、動きやすいスニーカーが多くて、踵が鳴ることなんてない。普段、私がハイヒールなんて可愛らしいものを履かないのを知っててやっているわね、なんて笑ってしまう。それでも、あんなに大きな音がしないことくらいわかる。今日は、ハイヒールを履いているから。少しばかりおめかしして来たのと、デートのお誘いなんだけど、と言ってはにかんだあの時の表情を思い出して、ついほころんでしまう。踵の音と気配で、側まで来たことがわかって、緩んだ頬をきっと結んだ。肩を叩かれて、やあ、と声をかけられる前に、大きく息を吸い込む。

「レディを待たせるなんて、紳士失格じゃない?」

 一瞬、理解できないようにきょとんとした顔が、気不味い顔に変わった。それから、私は言葉に詰まった相手を見て、もう一言。

「あら、元から紳士じゃなかったわね」

 見上げて笑いかけてから、凍り付いたように動かなくなった彼――ナサニエルに、冗談よ、と額を小突く。ナサニエルは、何か言いかけた口を閉じて、ため息をついた。何よ、と言うと、何でもないよ、と返される。そんなことじゃ女の子に嫌われるわよ、と言おうとして、やっぱり口を閉じた。それを言うのは止めておくことにする。何も言わない代わりに、私はナサニエルの手を取った。

「お店、閉まっちゃうわ」

 ほら、と腕を引くと、それに慌ててついてくる。早いよ、と言う静止も聞かずに駆け出したのと一緒に、ワンピースのスカートが大きく翻った。
 少し遅くまでやっている、馴染みのカフェに入ると、マスターが、紅茶とサンドウィッチでいいのかな? と笑いかけてくる。にっこりと笑って返事をした後に、カウンター席の端に並んで腰かけた。しばらくの間、お互いに言葉を探して黙っていると、マスターが紅茶を運んでくれる。いいねえ、なんてにやにやとされて、顔を見合わせてしまう。顔が真っ赤よ、と言えば、君もだ、なんて返される。その様子を見て、さらに笑みを深めたマスターに、ごゆっくり、と言われて、また黙り込んでしまう。ティーカップに口付けて、深呼吸。一息つくと、隣でもカップの置く音が聞こえた。そういえば、と声をかけられて、少し高い位置にある彼の顔を見上げた。

「今日の君は少し、近い?」

 私の頭の辺りをまじまじと見るナサニエルは、座った私の姿を見て少し首を傾げた。気のせいだったかな、と言うナサニエルにぐっと眉根を寄せる。

「どういう意味よ」
「背が高いなあって、思ったんだけど」

 むっと返しても、何ら動じていない様子で、私の足元に視線を落とすと、さっきと逆の方向に首を傾けた。足元で視線が止まると、ぱっと表情が明るくなる。

「ああ、ハイヒールだからか」

 私の黒いハイヒールを見ると、突然赤面した。ナサニエルは一人で勝手に百面相をすると、手元が所在無さげに動かす。その手は、ゆらゆらと揺れて、耳の後ろをかいた。

「そういうのも……その、似合ってるよ」

 明後日の方向を見たまま言ったナサニエルの言葉に、みるみる内に顔に熱が集まる。履かないハイヒールを履いて、彼に褒められて、顔を真っ赤にしているなんて考えてもみなかった。おめかしをして来て良かった、なんて思ってしまう。

「っ、何よ」
「なっ、何でもないよ」

 ナサニエルは慌てたようにサンドウィッチを頬張る。無理やり押し込んだからか、咳き込んだナサニエルに無言で水を差した。目でお礼を言われて、苦笑を返して、フルーツサンドに手を伸ばす。私は、お皿を空にしてから、ふう、と大きく息を吐いた。紅茶を飲んで待っていたナサニエルが口を開く。

「あ、あのさ……」

 カップを見たまま、視線が動かない。何よ、と聞けば、もう一度、あのさ、と今度は私の目を見て彼は言った。けれど、その後の言葉が、一向に出て来そうもない。痺れを切らせた私が、先を促す。

「早く、言いなさいよ」
「ああ……えっと、今日はバレンタインデーだね」

 気不味い空気の中、天気の話をするような口振りで言うナサニエルに、そうね、と素っ気なく返事をする。その先が、きっと大切な話なのだろう、と思いながら、何も言わずに待っていると、とん、と肩を優しく叩かれた。彼を見ると、意を決した視線と目が合う。

「今日は、君にプレゼントがあるんだ。その……受け取ってくれるかい?」

 その言葉と共に差し出されたものに、言葉が詰まる。綺麗な黒い小箱には、アミュレットをそのまま小さくしたようなデザインのネックレスが入っていた。

「これを、君に」

 差し出した掌に小箱を乗せられて、私の手ごと、ナサニエルの手が包み込んだ。初めて出会ったときは、私の方が、ずっと背が高くて、今よりもっとひょろひょろしていて、ただの男の子だったのに、いつの間にか背も抜かれて、凛とした男の人、になったのかしら。それでも、きらきらとした瞳だけは、あの頃から、ずっと変わっていない。

「嬉しいわ……」

 お礼の代わりに、彼の肩に手を置いて頬にキスをする。ナサニエルは驚いてから、照れたようにはにかんだ。照れ隠しに私の髪を手ですくと、髪に口付けた。彼らしくない行動に、瞳を瞬いていると、思い切り彼に抱きしめられた。
 きっと、今日だけは、ありふれた、ごく普通バレンタインになっているのだろう。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -