「ただい、ま…?」
玄関を開けた瞬間に、ナサニエルの動きが止まった。目の前に真っ赤な薔薇の花束が突き付けられる。
「おかえり」
その言葉と共に覗いた顔はにやっと笑った。
「バーティミアス…」
「何だよ、つれねえな」
そう言ったバーティミアスは、花束をナサニエルに無言で渡す。ナサニエルはそれを受けとると、バーティミアスを抜かして、さっさとリビングへ向かった。
「今日は、忙しかった…」
鞄を投げ出して、ジャケットも無造作に脱ぎ捨てる。花束だけは、そっとローテーブルの上に置いた。ため息をつきながら、シャツのボタンを一つ外すと、ソファに飛び込む。
「こんな日も仕事か」
バーティミアスがジャケットをハンガーに掛けながら聞くと、ナサニエルは少し首を上げて、横に振った。
「半分は仕事だけど…。こんな日、だからだよ。プレゼントを断るのでいっぱいいっぱいだ」
でも今年は全部断れた、と少しほっとしたように呟く。
「モテる男は大変だな」
「別に、ただ出世欲にかられているだけだろう」
バーティミアスが呆れたようにため息をついたことに、ナサニエルは気付かなかった。うーんと伸びをしてから、ゆらゆらと立ち上がる。ローテーブルの薔薇を手に取って、ナサニエルは小さく、あ、と声を上げた。
「全部、断り切らなかった…」
バーティミアスと薔薇の花束の間をナサニエルの瞳が行き来する。何度目かで、バーティミアスを見ると、ばっちり目があった。
「お前からのプレゼント、断れなかった」
「今断ってもいいぞ」
「いや、断れない。綺麗な花に、罪はない」
ナサニエルは、ふっと微笑むと、薔薇に顔を埋める。食べるものなんかより、ずっと綺麗だ。枯れてしまうのが惜しいほど、この薔薇は美しい。香りを堪能してから顔を上げると、バーティミアスが目の前に居た。
「俺のだけを受け取ることに意味はあるのか?」
低い声で囁かれて、ドキッと心臓が跳ねる。ナサニエルは平静を装いながら、にやと笑ってみせる。それでも、本心はバーティミアスにはわかっているだろう。ナサニエルは乾いた唇を舌で舐めた。
「意味がある、と言ったら?」
ナサニエルの返答を聞くと、バーティミアスはナサニエルの抱えていた薔薇を奪って、テーブルの上に落とした。その衝撃で散った赤い花弁がテーブルの上に広がる。
「バーティミアスっ、何を…」
「それは、肯定か?」
今度は、ナサニエルの返答を待たずに、強引にナサニエルに口付けた。呼吸が苦しくなるほどのキスに、ナサニエルはバーティミアスの胸を叩く。しかし、その手も掴まれ、ナサニエルは抵抗する手段を奪われてしまった。たまに与えられる僅かな隙間から、酸素を吸収するが、それだけでは足りず、クラクラとしてくる。その上、脳をも蕩かしてしまいそうなほどのキスをされ、ナサニエルの意識は飛んでしまいそうだった。
「…んッ、ふ……」
呼吸をするのもやっとな状態ではあったが、バーティミアスの唇を思いきり噛んでやった。
「って…」
怯んだバーティミアスから、肩で息をしながら離れる。頭がぼーっとして、ふらついた身体を支えきれず、そのままソファに倒れ込んでしまった。
「ば、か…」
「運動不足か?息切れてるぞ」
うるさい、と言ってから、ナサニエルは額を押さえる。バーティミアスはバレンタインだからと言って、調子に乗りすぎだ。だが、そうは言っても、自分も僅かながら、その気になっていた。きっと疲れているんだ、と言い聞かせて、ソファの上で寝返りをうつ。
「バーティミアス…」
「あ?」
「何も言わずに聞け」
ナサニエルは背もたれに顔を埋めたまま、言った。バーティミアスはその言葉通り、黙ったままナサニエルの隣に座る。
「僕は、お前だけに全てを許している。本名を知られたあの日、僕は全てが終わったと思ったのに、お前は何もせずに、居てくれている。そして、僕はいつからか、お前に、バーティミアスに恋心を抱くようになっていた。それが明確にはいつからかはわからない。でも、僕は今、お前が好きだ。愛してるんだ」
ナサニエルはそこで言葉を切って、半身を起こした。そっと、バーティミアスの頬に触れると、今度はそこに唇で触れた。
「今日だから、言うんだからな…。正直言うと、僕は怖いんだ。僕が愛せば、その人は僕から離れていってしまう。ちゃんと想いを口にしなければ、後悔してしまうと思っている」
ナサニエルはため息をつくと、バーティミアスの肩に額をぶつけた。その頭をバーティミアスは優しく撫でる。
「俺も、同じような後悔をしたことがある。だから、I love you, my sweetheart...」
ちゅ、とバーティミアスはナサニエルの髪にキスを落とした。
「赤い薔薇の花言葉は、愛情。それを花束にしたら、抱えきれないほどの愛情、とかになるのか?」
「それは、ならないんじゃないか?…でも、なったらいいな」
「俺が、そうしてやるよ」
顔を上げたナサニエルとバーティミアスの視線が絡まる。そして、どちらからともなく口付けた。