何時もの様に社へ赴き、茶請けに手を伸ばしながらも仕事をこなし、日が暮れる、筈だった。だが、今日は何かが足り無い。乱歩は辺りを見回した。大好きな社長は居る、美しい華の様な与謝野も居る、何時も顰め面をしている国木田も居る、真面目に仕事をしている宮沢も居る、探偵社に振り回されている谷崎兄妹も居る。居ないのは――。
 気付けば、乱歩は川に来ていた。探偵社からは少し遠いが、歩いて15分程の川だ。河川敷に下りて、川を覗く。

「居た」

 馬鹿じゃないのまたこんな所で、と呟けば、川面に浮き出た足が揺らぐ。ばちゃばちゃと藻掻く様に動くと、今度は頭が覗いた。

「嗚呼、乱歩さん。良いお天気ですね」

 濡れ鼠の男は、そう言って笑う。早く上がりなよ、と乱歩が言えば、男はにんまりと微笑んで、岸に上がった。

「いやぁ、奇遇ですね。乱歩さんも入水ですか?」
「真逆。太宰と一緒にしないでくれる?」

 乱歩は成る可く男――太宰に触れない様にして傍に寄る。嬉しそうな笑みを浮かべ続ける太宰は、慣れた手付きで外套を脱ぐと、その場で絞った。

「水が跳ねるじゃない」
「すみません」

 今度は跳ねない様、そっと絞る。しかし、其れ丈では当然の如く意味が無い。太宰は困った様に自分と外套を見比べた。

「何度目? そろそろ懲りたら?」

 太宰が口を開く前に、乱歩が言う。其れに太宰は首を横に振る丈で何も言わない。判っている、問う事に意味など無い事は。だが、乱歩の口をついたのは、其れであった。

「帰ろうよ」

 乱歩が太宰の腕に触れた。其の腕はひんやりとして、まるで生気を感じられない。だが、此れは死人ではない。動く鼓動、息遣い、微かな体温。それがある。そして、思考もあり、発言をする。此の、太宰という男は死の一番近くに居ながら、決して死ぬことは無い男である。一歩踏み違えれば、谷底に真っ逆さま。何故だろうか。死、そのものに対して、畏怖していないからか。

「乱歩さん」

 太宰が呼んだ。

「何?」

 乱歩が其れに応える。

「私はね、乱歩さん。死ぬ迄、死ぬ事を求め続けるのだと思いますよ」
「何故?」

 乱歩の問い掛けに、太宰は微笑む丈で何も答えない。しかし、目丈は笑って居なかった。遠くを見据える様な目は儚さを称えていた。


この世でただ一人だけ
(君だけが判らない)



太乱へのお題は『この世でただ一人だけ』です。shindanmaker.com/392860



(解説的なものをしますと、最後に乱歩さんが「何故」と尋ねているのは、わかっていないからでして、ということですな。ちょっと自分でも理解できていないので、超推理したいです)



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