「遅いよ、太宰」

 建物を出た所で声を掛けられた。太宰が顔を上げると、見覚えのある、茶の外套と帽子が目に入る。乱歩さん、と太宰が声を上げると、乱歩はにんまりと微笑んだ。今日は互いに別々の仕事で出ていた筈であったのに、如何して彼は此処に居るのだろうか。いつもの太宰なら、少しは考えただろう。だが、今の太宰に其の思考回路は無かった。思わぬ所に愛しい姿を見付けて、太宰は驚くのと同時に、喜びで一杯になった。待ち草臥れた、と言う割りには、珈琲の香りを纏っている名探偵に笑い掛ける。

「真逆乱歩さんが居るとは、思って居ませんでしたよ。吃驚しました」

 そうだろうね、とさも愉快そうに笑う乱歩は、太宰が側に来ると何の断りも無く歩き出した。其の足取りは軽い。其に太宰も慌てて付いて行く。

「敦くんと此処まで列車で来たのに、肝心の敦くんが途中で国木田に呼ばれたから、近くに居るという君を待っていたんだ」
「あの喫茶店に入って、ですか?」

 太宰が側の喫茶店を指差して言うと、乱歩は少し驚いたように太宰を振り返った。

「中々言うようになったね、太宰の癖に」
「お褒めに預かり、光栄です。乱歩さん」

 戯けてお辞儀迄した太宰に、乱歩は其の頭を爪先立ちになって、ぽすぽすと撫でる。

「まあ、僕には敵わないけどね」

 当然、と言わんばかりの笑みで、乱歩は太宰を見た。其に太宰も、敵おうとも思いませんよ、と返す。乱歩は満足げに口の端を吊り上げると、鼻唄でも歌い出しそうに、太宰の手を取った。

「彼処のケーキ、美味しかったよ」
「私を誘ってくれて居るんですか?」
「ウン。そうだよ」
「それは、誘いに応じないとなりませんね」

 うふふ、と太宰は笑うと、乱歩の手を握り直す。其の手の甲に口付けると、にやりと笑って、乱歩を見た。

「それじゃあ、その内に」

 一緒に行きましょうね、と太宰が口を開く前に頬に柔らかいものが触れる。其と同時に手から温もりが消えた。

「置いて行くよ、太宰」

 嗚呼敵わないなあ、と苦笑した太宰は、乱歩の小さな背を追う。珈琲の香りを纏った名探偵は、身を翻して、此方を振り返った。





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