きらびやかな照明の下で、正装した人間がふわりと回る。身分の上も下も関係なく、皆が思い思いの相手を誘っていた。この舞踏会を催そうと言い出したレインは、引っ張りだこの友人を横目に、ずっと壁の花を決め込んでいた。困り顔のラルファスは女性たちに囲まれて、広間の真ん中に押されていく。レインはそれを見て、誰かに気付かれる前に庭へ逃げた。いつもなら離してくれないであろうシェルファは、夜遅いこともあり、既に布団の中。今日だけは『おはなし』も臨時休業した。
外へ出て、空を見上げると、濃紺の夜空に星がキラキラと散らされていた。美しい空が見える代わりに、風は冷たい。だが、人々の熱気で蒸された広間から出たためこの風も気持ちいいくらいである。レインはその場でぐっと伸びをした。
「ギュンターも舞踏会に参加したらどうだ?」
「私は遠慮しておきます。ですが、レイン様が仰るのなら、私も参加しましょう」
暗闇からぬっと現れた、不機嫌な顔のギュンターは全く表情を変えずに言う。レインは苦笑して、ギュンターに手を振った。忠実なことは、もちろんとても大切なことではあるが、ギュンターの生真面目過ぎるところには、思わず笑ってしまう。
「お前が嫌なら、無理にとは言わない」
そうですか、とギュンターはそっけない返事をして、広間から漏れる光の当たるところまで出てきた。
「異常はあったか?」
賑やかな広間では、交わされない物騒な言葉が発せられる。ギュンターは淡々と、何もありません、と答えた。その答えに、レインは少しだけほっとしたような表情を見せる。
「まぁ、今何かしてこようって奴もなかなか居ないか。居たとしても、俺が追い払うだけだがな」
「レイン様のお手を煩わせることの無いよう、こちらも動きます故、心配は要りませぬ」
ギュンターの返事を聞いて、うんうん、と満足そうにレインは頷いた。ギュンターは見かけだけは不機嫌顔の痩身美青年だが、その実、実力は確かである。そのため、今の言葉にも信頼がおける。元々、ギュンターのことは信頼しているのだが。
「まー、今日くらいは静かにしててもらいたいもんだよなぁ」
はぁあ、とため息と共に吐き出された台詞は、紺色の夜空に消えていく。ギュンターは何も言わずに、主をじっと見つめていた。
「ところで、ギュンターは踊れるのか?」
あまりに唐突すぎる質問ではあるが、不機嫌顔の部下に動じた様子は無く、こっくりと頷く。
「基本的なステップは踏めますが、あまり得意ではありません」
ギュンターは残念そうに言うと、主を仰いだ。当の本人は、右手で顎を触って、なにやら考え込んでいる。一人で問答した挙げ句、よし、と呟いた。
「ステップを教えてくれないか?俺もそろそろ覚えておかないとと思うんだが」
「御意」
そうして、月夜のレッスンが始まった。
「以前、姫王と踊られたことがございますな。そのときのことを思い出していただけたら、レイン様ならすぐに覚えられましょう」
ギュンターはお世辞など言わない。レインはむぅと唸って、シャンドリスと同盟を結んだときの舞踏会のことを思い出した。だが、あのときもあまりうまくいかなかったのだ。
「剣を持ったときと同じようなものです。相手に合わせて一歩を出す。それだけです」
ギュンターは、むすっとした表情のまま、一人でステップを踏んで見せる。得意ではない、と言ったわりには、優雅にステップを踏んだ。一通り終わると、今度はレインに右手を差し出す。
「私が淑女の役をやりましょう」
「そっちもできるのか」
「ええ、時に必要な場合もございますから」
ギュンターは、表情を全く変えずにそう言うと、レインの手を引いた。しっかりと握り直して、腰を寄せる。
「して、あれだな。近い」
ギュンターの緑の瞳を至近距離から覗き込んだレインが呟いた。
「そういうものです。以前には、はしたない、と言われていた時代もあったようです」
ギュンターはそれに淡々と答えると、始めますよ、と一言断ってから、一歩左足を引く。それに合わせて、レインが右足を出す。逆の足を出したり引いたり、ギュンターの動きに合わせているうちに、レインの動きもなかなか様になってきた。
「さすがですな。最初より、だいぶ良くなりました」
ギュンターの言葉にレインは、そうか、などと言って微笑んだ。まだぎこちなさが残るが、最初とは比べ物にならないほどには上達していた。足を踏まなくなったことが進歩である。
「うむ、これでとりあえずは渡って行けるな。お前のおかげだ、ギュンター。ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
ギュンターは恭しくレインに一礼した。その表情には、少しの満足感と優越感が滲んでいた。
「お前をダンスに誘えないのが残念だよ」
レインは眉を下げて笑う。
「ダンスが上手かったら誘うんだけどな」
ちらっと広間の方向を見たレインは、星空を見上げた。それを聞いていたギュンターは、レインの前に跪く。
「レイン様に踊っていただけるのなら、私は喜んでお受けします」
少しだけ表情を緩めたギュンターは、レインの手を取って、その甲に口付けた。
「異常有り、だな」
その言葉に、ギュンターはさっと立ち上がって構える。それを見ていたレインは苦笑を浮かべた。
「異常があるのは俺にだよ。肩の力を抜け」
レインはそう言うと、ギュンターの唇に唇を重ねる。広間の喧騒の中から、外を見る者はいない。二人の大胆な秘め事に気付く者は誰もいなかった。
「今日だけは無礼講だ。俺と、踊ってくれるな? ギュンター」
レインに差し出された手を、ギュンターが握り返す。
「もちろんです、レイン様」
ギュンターは手を取って一礼すると、そっと身を寄せた。広間から漏れる明かりと、音を頼りに、二人の影が踊る。スローテンポなステップはしっかりと、確かに、刻まれていた。
×