「はぁ、」

 夜空に浮かぶ満月を眺めて、ふぅっとため息をつく。明日、異国の王子と式を挙げる。何故、好きでもない相手と、生涯を共にしなければならないのだろう。敷かれたレールの上を歩くしかない自分に、むしろ笑いが漏れる。

「大好きな人と結ばれないなんて……」

 そんな姫は要らない。存在してはいけないのに……。

翌日、白いドレスを身にまとって、用意された馬車に乗り込む。

「美しいですね、姫。普段よりもずっと……」

 仮面の下で笑みを浮かべた御者に、軽く会釈をした。大好きなあの騎士様は迎えに来てくれないのかな、なんてありもしない希望に、少しの望みをかけた。馬車に繋がれた黒い馬がゆっくりと走りだす。もうあと戻りはできない。

「到着です」

ファンファーレが鳴り、人々の歓声がわっと響いた。沈みかけていた気分がさらに落ち込む。しかし、一国の姫としては、笑顔で居なければならない。泣きそうな気持ちを押し込んで、にこりと笑って片手を挙げる。それを見た人々の歓声がさらに大きくなる。馬車の扉が開いて、御者が地面に下ろしてくれる。敷き詰められた赤い絨毯を歩きだした。

「迎えに、きて……」

 誰にも聞こえないくらいの声で呟く。顔を上げると、少し先でこちらを見た王子が微笑んで自分を待っていた。一歩をゆっくりと踏みしめて歩く。彼が少しでも迎えに来てくれる時間があるように。そして、王子の傍まで来て、王子の差し出された手を握ろうとした瞬間、人々の中からざわめきが起こった。

「なんだっ?」

 王子が叫ぶと、人々が開けた空間に、黒馬に跨った先ほどの御者が居た。その御者が仮面を優雅な動作ではずす。

「恭馬……」

 名前を呟くように呼んで、迷う暇も無く、恭馬の元へ駆け出していた。馬から降りていた恭馬に飛びつく。

「待ってたんだよ」

 彼はにっこりと笑って離れると、片膝をついた。

「俺に、連れ去られていただけますか? お姫様」

 悪戯っぽく笑う彼の、金色の瞳が少し覗く。迷いなく出された手を握り返した。それを答えと受け取った恭馬は、一緒に馬に乗せてくれる。

「待てっ、姫は私の……」

 やっと口を開いた王子は、汗だくでこちらを見ている。恭馬は一瞬だけそちらを見て、すぐに視線を前に戻した。

「姫は貴方の、何ですか? 王子様」

 恭馬がにやりと笑うと、王子はひっと声を上げただけで、何も言い返すことができない。それだけ確認した恭馬は、すぐに馬を駆り出した。

「これで、俺だけのお姫様になりましたね」
「もう、何言ってるの。ずっと、恭馬のなんだから」

 呟きは、風に連れ去られる。めまぐるしく変わる景色に、にっこりと微笑んだ。どんなに遠くまで行っても大丈夫。今の自分は彼と一緒に居るから。

「って、御伽噺を考えたんだけど、どうかな」

 ニコニコと楽しそうにヒロトは言った。ティーセットを抱えた恭馬は、むすっと一言。

「却下です」
「なんでよっ」
「理由は秘密です」

 カップに紅茶を注ぎながら言う。不機嫌顔はまだ直らない。彼の却下の理由は、御伽噺の中で、ヒロトと一緒に居る時間が短い、というだけの理由であった。




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