まずいな。それが正直な感想だった。自分が思っていたよりも、彼の存在が近くなっていたようだった。

「すまん」

つい口をついて出てしまった。だが、彼は表情も変えずに、当然のことですから、と淡々と答える。きっと、任務についてのことだと思ったのだろう。その他の意味があると思う方が、可笑しい。いろいろと考えている間に、微妙な表情になっていたのか、彼の眉間のシワがぐっと深くなった。

「レイン様、どうかなさいましたか」
「いや…なんでも、ない」

自分の側近の部下に、こんな想いを抱くとは。だが、どんな理由があろうとこの気持ちだけは抱いてはいけない。許されないことなのだ。

「ギュンター、」

俺は、彼の名前を呼んだ。ギュンターは顔を上げて、レインを見つめる。

「もう、行っていいぞ」

つまったようなレインの声に反応して、ギュンターの眉がほんの少しだけ動く。だが、何も言わずに一礼をして、部屋を出ていった。レインは扉が閉まったのを見計らってから、ため息を一つついて、まずい、と本日二度目の感想を漏らす。彼は自分が呼べば一瞬で戻って来るだろう。だからこそ、困るのだ。特別なものは、自分と彼の間には要らない。特別なものが必要なのは、自分とシェルファの間である。レインは机の上に突っ伏した。千手先を読む、と言われていたのに、こればかりは一手先も読めない。しかも、こんな想いは抱いてはいけない。抱くことは出来ない。

「俺も、馬鹿だよな…」

自嘲気味な笑みと共に漏らされた呟きは、部屋に吹き込んだ風に掻き消される。ははっ、と苦笑いをしたすぐ後に、控え目に扉が叩かれた。誰かと考える間もなく、入れ、と返事をする。

「失礼いたします」

丁寧にお辞儀をしたのは、さっきまでここにいた、ギュンターだった。レインは机に突っ伏し直して、ため息をつく。

「なんだ? 言い忘れか?」

レインの質問に、ギュンターは申し訳なさそうに唇を開いた。

「お加減でも悪いのかと、思いまして…」

ギュンターが珍しく口ごもる。レインはゆっくりと体を起こして、何度かまばたき をした。

「俺は、元気だが…?」
「それなら、良いのです。レイン様に何かあったら、と思ったのですが、どうやら私の早とちりだったようですな」

普段はほとんど変わらない、ギュンターの表情が少し和らぐ。

「顔に出ていた、か…」

レインは苦笑した。だが、表情の少しなども、相手がギュンターだから、気付いていたことだろう。やはり、必要以上に踏み込みすぎた。

「レイン様は他の者のことばかり考えていらっしゃる」
「それが仕事だからな」
「そのような意味ではないのですが…」

そこまで言って、ギュンターは口をつぐむ。まだ言いたいことがあるらしいが、続きは出てこない。その代わりに、いつもの不機嫌な表情のまま、少しだけ目を伏せた。

「倒れたりはできない。心配するな、ギュンター」
「確かに、ことレイン様に関しては、心配すること自体が無駄なことでしょう。ですが、無理はなさらないでいただきたい。レイン様が倒れるようなことがあったら、私は…」

ギュンターはその後は続けずに、ただ首を振る。

「わかってる。俺は大丈夫だから」

ある意味では大丈夫ではないかもしれないが、と付け加えるのは止めておいた。ギュンターが原因ではあるが、本人には分からないだろう。レインはギュンターを抱き締めようと浮いた手を押さえた。

「申し訳ありません」
「別に、謝ることは無いよ」

出過ぎたことをしたと思ったのか、ギュンターはレインに頭を下げる。だが、レインの手がそれを制した。そして、その手はわしゃわしゃとギュンターの頭を撫でる。驚いた顔のギュンターが顔を上げた。

「レイン様…?」
「あ、これはなんだ、そのー…あれだ。お前が元気無さそうだから、俺が分けてやろうと思って…」

ギュンターの表情が少しだけ緩む。滅多にないその表情に、レインはついどきりとしてしまう。

「とにかく、俺は問題ない」

レインは言い切ってから、ぼすっとギュンターの頭を柔らかく押した。それにあわせて、ギュンターの髪がふわりと揺れる。

「くれぐれも、無茶はなさいませんよう」

体を起こしたギュンターが、釘を刺すようにレインに言った。レインは大丈夫だって、と片手を振る。

「貴方が私の主であるということを抜きにしても、無茶はしていただきたくはないのです」

きっと、今の言葉に深い意味は無いだろう。だが、ギュンターの顔は不味いことを言ってしまった、というようにしかめられた。だが、微妙な変化のため、普段の表情とあまり見分けはつきにくい。ギュンターは何度か視線をさまよわせてから、レインを見た。

「レイン様は大切な方です。貴方がいらっしゃらないことなど考えられません故、常に万全な体調で居ていただきたい」

ギュンターの言葉に、レインは困ったように頭をかく。真意はわからないが、自分は大切にされているようだ。もちろん、自分が上将軍であり、主であるからではあるが、それを抜きにしても、大切に思ってもらえているように感じた。

「そこまで言われたら、無茶はしないようにする。けど、本当に今は大丈夫だ」

レインの返答に、完全には納得しないながらも、渋々ギュンターは部屋を出ていく。ギュンターの背中を見送って、扉とは逆にある窓に近付いた。日が暮れるまでにはまだ時間がある。たまには部下たちの練習でも覗きに行くか、と庭を眺めた。先ほどまで居たギュンターを思い出して、それを書き消すように左右に首を振る。どう足掻いても、その想いが正当化されることはない。彼に感じた特別な想いには、まだ気がつかないフリをしていようと深呼吸をした。





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