何うにも為らない恋のお話A


一ヶ月後、三成の婚約が正式に決まった。
相手は、徳川家康。

徳川家の持つ幾つかの会社は此の頃業績が著しく伸びていて、豊臣家にとって重要な取引先と為っていた。また現当主がなかなかのやり手で、豊臣家の息が掛かった企業の買収を目論んでいたりもするのだ。
然ういった都合の所為で徳川家との関係を良好にしておきたい三成の両親は、家康に娘を欲しいと直談判されたら直ぐに頷いてしまった。尤も、家康が三成にべた惚れをしているお陰で此方に都合の良い条件を山程提示されたからであったが。
まず、三成を嫁に出すのではなく家康が婿に入るということ。豊臣家には三成しか子どもが居ないので、婿養子に為ることが第一条件であった。徳川家としては其れは渋ったらしいのだが、家康は自ら婿に行くと申し出て来た。彼が然う迄して一緒に為りたい三成は、正に徳川家に対する最後の切り札と言える。此のカードがある限りは、徳川は豊臣を潰しはしないだろう。

三成は、両親のことを嫌ってはいない。むしろ、二人とも立派な人間だと尊敬さえしていた。其んな彼らの為ならば自分がビジネスの道具に為ることも吝かでないと思っていた。

幸村と出会い、恋に落ちる迄は。



婚約が成立した日、三成は泣かなかった。茫然自失に為り、泣くこともできなかったのである。

「刑部。」

虚ろな瞳の少女に然う呼ばれたのは古参の執事。『刑部』というのは愛称で、本当の名は大谷吉継という。彼は三成が生まれたときから世話をしていて、二人は年の離れた兄妹のような親友のような、何でも話せる関係であった。

「何うした三成、其のような顔をして。」

吉継は数年前に酷い皮膚病を患い、其の爪痕を隠す為に包帯を何重にも巻いて顔の大半を隠している。発病が分かったときに辞意を表したのだが、三成に強く引き止められて今も此の屋敷で働いているのであった。白い布だらけの彼の姿は少々不気味であるのだが、見た目が何れ程変われども三成は吉継への態度を変えなかった。其ればかりか、此のように気安い口調で喋るよう命じたのも三成本人だ。信頼の厚さが窺える。

「私の結婚が決まった。」
「左様か。」
「相手は家康だ。」
「気に入らんな。」

吉継は、静かにカップに紅茶を注ぐ。其の安らぐ香りにも、皿に並んでいる焼き立てのビスコッティの香ばしい匂いにも三成は反応しない。

「死んでしまいたい。」

ードサッ。
ベッドに身を投げて、力なくうつ伏せに為っている三成。其んな彼女を眺めて吉継は、

「なら、死ねば良かろ。」

と言った。
三成がばっと顔上げると、彼は布の奥で愉快そうに笑っていた。しかし、揶揄ってるわけではない。

真剣に、『死ねばいい』と提案しているのだ。

「病を得てからというもの、薬学にも明るく為ってしまってなァ。ぬしが望むなら、真田と夫婦に為れる薬を拵えて遣ろ。」



其の晩、幸村は三成の部屋を訪ねた。明るい内に、夜に為ったら来るようにと言われていたからであった。当然他の使用人等に見付かっては不可ないから、こっそりとの訪問に為る。だが彼は身軽であるので、外から二階にある三成の部屋に上がって来ることは造作もないことだった。
鍵の掛かっていない窓から侵入した彼を待っていたのは、ネグリジェ姿の三成だった。幸村は彼女の化粧着姿に吃驚して、顔を真っ赤にした。

「み、みみみ…っ、三成殿!何て格好を成されているか!!」
「しっ!あまり大声を出すんじゃない。」

口を手で塞がれて、漸く幸村は静かになった。何かもごもご言ってはいるが。

幸村をベッドの端に座らせ、三成が差し出したのは温かい緑茶。先刻、吉継に二人分用意させたものであった。三成は海の向こうから取り寄せた紅茶を好むが、幸村は矢張り日本茶の方が好きだった。純情な少年は恋い慕う人物のあられもない姿を直視できずに、受け取った茶を飲むことに全神経を集中させていた。
其の横に腰掛けた三成が、ゆっくりと口を開く。

「貴様には、未だ話していなかったと思うが……。
今日、正式に私の婚約が成った。」
「!!」

幸村は驚いて湯飲みを取り落としそうになったが、何うにか羽毛布団に染みを作らずに済んだ。

「某の口からは、御目出度うとは言えませぬな…。」
「言って呉れなくて良い。」

三成は熱い茶を飲み干すと湯飲みを盆に戻し、幸村に向き直った。其の目には、薄っすらと涙の幕が張っていた。

「刑部が、私達が夫婦に為る方法を教えてくれた。」

教わった『秘密の方法』を幸村に耳打ちすると、彼はにぃっと笑った。



豊臣家の敷地内の隅、屋敷からは随分と離れたところにある二階建ての小さな蔵。其処には先々代が趣味で集めた骨董品が、まるで押し込められるように収納されている。三成から見て祖父に当たる先代は、西洋の物・東洋の物に関わらず其れらに一切の価値を見出さず、陶器の壺から大理石でできた卓子、江戸時代の刀までごちゃごちゃに仕舞ってあった。高価な品物も置いてある為に一応鍵は掛かっていたが、家の者なら誰でも持ち出せる場所に其の鍵はある。

良く晴れた日のこと。三成と幸村は、庭を散歩するついでに件の蔵に寄った。父も祖父同様骨董品には一切興味を示さなかったが、三成は其れらのコレクションを眺めることを肖像画でしか知らぬ曾祖父との会話に代えていた。其の時間は妙に落ち着くので、彼女はちょくちょく此処に出入りしていたのであった。
蔵の中は昼間でも暗く、ランプを付けねば足を踏み入れることはできない。乱雑に物が置いてあるのだから尚更だ。振り子時計やら大きな絵画やら箪笥やらの隙間を抜けて、二人が向かったのは二階の一番奥。黴臭いし埃が足にまとわり付いたが、少しも気には為らなかった。

「此んな暗いところで何だが、此の着物は何うだ?」

ランプの小さな明かりに照らされて、三成がはにかんで笑う。

「とても素敵にござる。三成殿は、白が良くお似合いにございますな。」

真っ白な生地に紅い牡丹が描かれた振袖は、清潔で凛としている三成に非常に似合っていて、幸村は其れを本心から褒めた。

「然うか。此れは貴様の為の白無垢の代わりだ。貴様が気に入って呉れれば、其れで良い。
まぁ、白いドレスを着て基督教の真似事をしてみるのも良かったかも知れんがな。」
「花嫁に見合うだけの洋服を某は持っておりませぬ故、どうか御勘弁を。」

一張羅の黒い袴を引っ張りながら、幸村は困ったように笑った。其んな彼に三成は目を細めて、或る御願いをした。

「貴様は、私が死んだのを確認した後に来い。貴様のいない世界になんて、一秒たりともいたくない。」
「御意。」

其のとんでもない命に、幸村は即座に頷いた。

「大谷殿に御教示頂いた通りに。」

これから始まるのは二人の結婚式。
御神酒の代わりに三成が飲んだのは、吉継が呉れた薬だった。



吉継が二人に教えた『夫婦に為る方法』とはこうだ。

まず、幸村と三成で蔵に入る。半分打ち捨てられたようなものとは言え、三成は時折此処に入っていたから、彼女が鍵を持って行ったことを別段不審がる者はいない。
二人が中に入ったことを確認した後、吉継が中からも外からも開かないように扉を壊す。そして、事前に用意しておいた油を入り口付近に少し撒く。其の際には掛け軸などの紙類や木製の燃えやすい物を近くに置いておくこと。其れが済んだら、撒いた油目掛けてランプを投げる。
火が上がった後に、なるべく蔵の奥で、特製の『夫婦に為れる薬』を飲むのだ。

然うすれば、「扉が壊れて蔵に閉じ込められた二人が慌てた拍子にランプを落とし、其れが原因で発生した炎に呑まれて死んだ」事故の完成だ。



扉は吉継が壊して呉れた。油もちゃんと撒いたし周りに本や掛け軸を並べておいた。
幸村は、三成の脈がなくなったのを確認すると、ランプを入り口に向かって投げ付けた。途端に上がる火柱に、彼の口角が上がった。此処最近は晴天が続き空気が乾燥しているから、火が回るのはあっと言う間のことだろう。

「今、お側に。」

息をしていない三成に今生で最後の口付けをすると、幸村も薬を飲んだ。
愛おしい恋人を胸に抱き締めた其の姿は、人々にはお嬢様を炎から最期まで守った立派な少年と映るであろう。



吉継の読み通りに、普段から誰も近付かぬ蔵の火事はなかなか気付かれず、消火が終わったときには九割以上が焼けていた。中に収納されていた品々は焼失するか炎に舐められて無惨な姿に為っているかで、見付かった二人の遺体も損傷が激しかった。



不幸な事故で命を落とした若い二人を、彼らに所縁のある人間は皆悼んだ。
三成の葬儀のときに、彼女の婚約者であった家康が棺に縋り付いて泣き、出棺を遅らせるという一幕があった。その中を白い花でいっぱいにしたのも金を出して遺体を綺麗に繕ったのも彼で、其の痛ましい姿は参列者の涙を誘った。

(「只の事故ではなくて、ひょっとして…?」と勘付いた者もいたが、豊臣家の御令嬢としがない書生が心中だなんて醜聞でしかない其れを、口にできる筈もなかった。)



三成が死んで四十九日が経った頃、一人の古株の執事が豊臣の屋敷を去った。少しばかりの退職金と、彼が世話役を務めていた姫の遺品を幾つか持って。

何うにも為らなかった恋の結末は、彼しか知らない。




ー終ー




- 43 -


[*前] | [次#]
ページ:






第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -