君に吹く風


 木々が鬱蒼と生い茂り昼間でも薄暗い山道を、一人の娘が歩いていた。時折ぬかるみに足を取られながら、ゆっくりと山を登って行く娘。その真横を、鹿の親子がガサガサッと音を立てて駆け抜けて行った。

 この娘の名は、石田三成。彼女は山の麓にある村に住んでいて、年の頃は二十歳になるかならないかといったところだった。全体的にか細い体つきをしていて、決して足腰が丈夫そうには見えぬ三成だったが、彼女は定期的にこうしてこの獣道を通っていた。

 人には言えぬ、友人に会うために。



 透き通るように白い肌と目元に影を落とすほど長い睫毛、紅を差さずとも色付いた唇。三成は非常に美しい見目をしていたのだが、生まれ持った朱い髪と瞳のせいで村の者からは「鬼の児」と忌避されていた。家族は優しいけれど、村には心地の良い場所などない。山頂付近にはまだ幾らかあるが、山の中腹を越えたところで三成はふぅと息を吐いた。次の瞬間、強い旋風が吹いて周りの木々を揺らし、三成の結い上げられた髪を舞い上がらせた。
「また来たのか、三成。」
 その風と共に現れたのは天狗の面を被った男だった。
「清正。」
 清正と呼ばれた男は、白い着物を纏い山伏のような格好をしていて、高い一本歯の下駄を履いていた。
 「あんまりこの山に立ち入るなって言われてんじゃないのか?恐ろしい化け物が出るから。」
「俺はその化け物に会いに来ているのだ。」
「……物好きだな。」
 清正は笑いながら面を外した。その下の素顔は、鈍く輝く銀色の短い髪と浅黒い肌を持つ凛々しい顔つきをした青年だった。しかし、そんな身なりや容姿以前に、目を引く身体的特徴が彼にはあった。

 背中から、黒くて大きな翼が生えているのだ。

 清正の正体は、この山の主の烏天狗であった。清正は人間などを取って食べた試しはたったの一度もなかったが、「若い娘や子どもさらう」と恐れられていた。まるっきりの誤解であるのだが、その噂のお陰でいたずらに人間達が山奥へと近寄らないために、彼にとっては好都合であった。下手な介入は御免なのである。
 しかし、目の前の娘、三成は違った。化生である自分を恐れることもなく、積極的に会いに来るのだ。
 三成がまだふにふにとした童女だった頃、二人は出会った。山中で道に迷った三成を清正が見付け、「村まで送ってやろうか」と声を掛けたことが始まりだった。彼女は清正を見て驚かないばかりか、「帰りたくない」と泣いて縋って来たのだった。
「みんなが俺を鬼の児だと言う。みんなが嫌いな俺なんか、俺だって嫌いだ…っ!!」
「お、おい…っ。」
「お前は烏天狗なんだろう?俺を食べてくれ。」
「残念だが、俺は人は食べない。」
 姿を見られただけで恐れおののかれたことは幾度もあったが、こうしていきなり泣き付かれたのは初めてだった。どうしていいか分からず、清正は足に抱き付く三成の頭を撫でた。細い髪の毛の、さらさらとした手触りが心地良かった。
「親が心配してるぞ。早く帰れ。」
「嫌だ!帰ったって俺は一人だ!!」
 仕方のないガキだ、と清正は溜め息を吐いて、三成を抱き上げた。
「なら俺が話し相手になってやろう。寂しくなったらこの山に来い。」
 涙を着物の裾で拭ってやると、子どもは小さく笑って頷いた。それから、三成は何かあるごとに清正を訪ねた。楽しいことがあっても、悲しいことがあっても、全部清正に聞いてもらいに来た。そして今日も、彼女は決してなだらかではない山道を登って来たのだった(ついでに、初めて会ったその日から十年以上が経っているのだが、清正は齢を重ねているようには見えなかった)。



 「で、今日は何の用だ?」
 清正は三成を木の根本に腰掛けさせると、自分もその隣りに座った。
「……そう、だな…。今日は……。」
 いつもだったらすぐに話を始める三成だったが、今日は下を向いたまま何やら言いあぐねている様子だ。
「何だよ、言えよ。」
 清正は左手でそっと三成の髪を撫でた。滑らかな感触は、以前から全然変わっていない。
「…まぁ、相談と言うか何と言うか……なのだが…。」
「おう、経験豊富な俺に何でも聞け。」
「お前が長生きをしているのは知っているが、妖怪の経験がまともな助言に繋がるのか?」
「うるせーなっ!」
 彼女の悪態にまったく腹が立たないと言えば嘘になるが、普段の様子が戻ったことに清正は安堵した。




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