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 時計の針がてっぺんを回った夜に、しらじらとコンビニばかりが眩しく光っている。あざしたーとやる気なく間延びした店員の声と緩やかに閉まる自動ドアを背に、かがりは手にしたビニール袋を揺らした。

「あっついなぁ」

 ジジジッと尽きかけの命を無理やり絞り出すみたいに道端の電灯が鳴く。それより幾つか先でまた違う電灯がばつ、ばつと瞬きの音よりも大きく、生地を貫いた糸を切る音よりも低く、のったりと音を立ててまたたいている。そろそろ寿命なのだろうか。こういうのって誰が替えてんだろ、と頭の片隅で思う。うちの者に聞けばわかるだろうか。なんなら縄張り内であることを考えると、うちの誰かがやっている可能性だってある。

 倉里かがりの十三回目の誕生日は終わった。
 今までいちばんと言っていいほど盛大に祝われたが、一方で推しに祝ってもらうという願望ゆめを結局叶えられなかったかがりにとってはどこか味気ない感じがした。ここでどこか、というのが我ながら白々しいなとは思う。頬を掻くのにあげた手に提げたビニールががさりと音を立てる。
 かがりはうんざりして抜けてきたがたぶん、屋敷ではまだ酒盛りが続いているだろう。明日とはもう言えない今日にだってどうせひとを集めるのに、だ。
 呼吸するたび、火照ったからだにこもっていた熱が吐き出されていくような心地がする。凍てついた空気で満ちる冬と違って、そっと吐かれたその呼気が可視化されることはないが、夏だということを加味しても随分熱っぽいものだった。ゆらゆらとビニール袋を片手に揺らして歩くかがりにまとわりつくようにして、ほんのりと果物のような甘い酒気が漂っていた。頭は痛くないが、気持ち的には頭痛がする。

「どんだけ勧めてくんだよ……そんなにたくさんのまねえっての」

 こちとら十三になったばっかなんだぞ、とひとっこひとり見えない夜道で吐き捨てる。
 めでたいのはめでたいのだろうけど、主役を煩わせるのはどうなんだ。今まで世話になったものもたくさんいるために無下に扱うのも悪く、愛想笑いばかりしていていつもと比べれば格段に酷使された表情筋が痛む。コンビニスイーツでも買わないとやってられないというものだ。まあ買ったのはアイスだけれど。バニラアイスは正義。

 そろそろ角を曲がるかと思ったところで、ブゥウン、と唸り声。遠くのほうから暴走族らしき排気音が聞こえているとは思っていたが、いつの間にやら随分近くに来ていたらしかった。ガラの悪い奴だったら面倒だ。ありがたいことにかがりはそこらにはいないくらいに夜目がきくので、ちょっとその面を拝んでからどうするか考えようと思った。思ったが。

「松野!?」

 ダメだった。目の前でぎょっとしている男がなにもかも悪い。覗こうかな、と思った次の瞬間には単車バイクを転がしてこちらへと曲がってきていたのだ。ついでにばちんと音を立てるような勢いで目が合った。推しと目が合った。そりゃあ声も出るというものです。勘弁して。

「…………、くらざと?」
「え……っ、あ、うん」

 いつぶりだっけ? と目の前の男がいくらか間を空けて問う。ア、ウン、いつぶりだろーね、とかがりは繰り返した。
 だって、推しだ。散々祝われたかっただなんてぶすくれていたものの、まさかこんなところで出会うなんて思ってもいなかったから、心の準備も何もできていないのだ。ほんとうに勘弁して。名字だけど名前呼ばれたし。推しに!

「小四のとき以来……か?」
「あーうん、そうかも。そうだと思う」

 そういうことにしてほしかった。我ながら適当な返事をしながら、かがりは祈るように思う。
 もう昨日になった今日にだって、かがりは彼と同じ空間にいたことはあったのだけれど、言わない限り彼がそれを知ることはないのだ。というかそうしないとただひたすらにかがりだけが気まずい。
 なんたってかがりはここのところ、彼が慕い毎日のように訪れる場地の席からほんの二席数えた同じ列に座っているのだ。バレたら気まずいどころの話ではない。知っていたのに声をかけなかったなんて相手からすれば意味不明でしかないし、そもそも今、かがりはそれを彼に伝えないという選択肢を取ったことで、無かったことにしてしまったのだ。こうなってしまってはもう貫くしかない。これは違うけど、嘘だって吐き続ければ真になるかもしれないのだし。

「ま……松野はなんで、こんな時間に外に?」
「あー……オレ、東卍に入っててさ。今日集会だったんだよ」
「ああ、そっか。そうだよね」

 そういえば武蔵神社から帰るときには既に排気音が辺りに轟いていたのだ。というかそもそも今も東卍の特攻服トップクを着ている。わかりきったことを尋ねてしまった。目の前の男曰く、小四以来──つまりは二、三年ぶりの面と向かった会話なのだ。とにかく気まずい。

「そっちは?」
「え?」
「だから、なんでオマエはこんな時間に出歩いてんの」
「えっと、アイスを買いに……」
「ふぅん。なんで?」
「なんでって……うん? どういうこと?」
「もう日付変わってるだろ、なんでアイスなんか買いに行くんだよ。女が出歩くような時間じゃねーぞ」
「ああ、そういうこと……」

 どうやらご心配いただいていたらしい。推しに心配してもらうなんて贅沢だなあ、と思って堪えきれずに笑みがこぼれかけた。松野は訝しげな顔をしている。
 中学生らしい年相応のそれと、相変わらず握られたままの単車のハンドルとがアンバランスでどこか背徳的な感じがした。

「いいんだよ、ウチは。今日から夜遊び解禁なんだよね」

 じゅうさんさいになったから。

「……ん? あ、もう日付変わってるし今日からじゃなくて昨日からだった」
「え、は、つまり……」
「つまり?」
「オマエ、昨日誕生日だったワケ……?」
「そーいうことになりますね。いやー、とうとう十三歳だよ。家のがこれまで以上にうるさくなりそ……あ、なし。今のなしでよろしくお願いします」
「…………っ、言えよ!」
「なにが!?」

 なんでか怒鳴ってきたのにこっちを見ないなと思っているとどうやらバイクを停めていたらしく、ガションと音がしたのと同時に松野の手がグリップから離れた。そういえばバイクってシートの下にヘルメットを入れるスペースがあるんだっけ。目の前でシートが開けられているのを見ながらぼんやり思う。いつまで棒立ちでいればいいんだろうか。カップだからいいけどぜったいアイス溶け始めてる。6月後半の夜なんてかなり夏だよ。

「……あー、誕生日おめでと。ンなもんでわりぃけど」

 素でインスタントやきそばを差し出された。ペヤングだ。……ペヤング?

「いやもらえないよ、それ松野くんのじゃん!」
「いーから受け取れって。誕生日プレゼントっつってんだろ」

 松野のだからもらえないとか急にぴえん面したことを言っているが、もちろんかがりはそんなことを本気で思っているわけではない。
 実のところ、あいにくかがりはインスタントやきそばを食べないのだ。つまりもらってもそのペヤングの末路は推しに手ずからいただいたと拝まれるだけである。食品なのに。それにバイクに収納してるペヤングなんて、ぜったい松野が場地さんと半分コする用に買ったやつだろう。そんなものを、食べないかがりが誕生日プレゼントだからといってせしめるなんてもったいなさすぎる──そういう内容のようなことをかがりの頭は考えたが、残念ながら今日(あるいは昨日)の願望ゆめの思いもよらぬ成就にかがりの口はゆるゆるだったので推し≠ノ関することだけを咄嗟に吐き出した。まあ広義的には間違ってないので……いやそもそもシンプルに考えて松野の所有物でしかないんだけど。
 どこまでも思考があさっての方向に逸れていくなか、ペヤングを差し出した格好のままの松野の眉がどんどんつり上がっていっている気がしたかがりは、とりあえずまず口を慎んだ。余計なことを口走りたくはなかったのと、推しを苛立たせるのは本意ではなかったので。
 ああでも、申し訳ないけどとりあえずペヤングはお断りしないといけない。

「……あのね、松野」
「なんだよ」
「ごめん、せっかくくれようとしてるのに悪いけど、わたしインスタントやきそば食べないんだよね。だからもらえない」
「え、なんで? うまいのに」
「そんなこと言われても…………好きじゃないからとしか」
「……んー、ならしょうがねーか。でもオレ他にオマエにやれるようなもん、なんも持ってないんだけど」
「うーん……あ。じゃあ、あのさ、……怒らない?」
「いや、聞いてもないのに怒るもなにもないだろ?」
「それはそう。……あのさ、松野さえ良ければなんだけど、そこでアイス買ってもらえない? 安いやつでいいから」

 できればバニラアイスがいいが、そこまでの贅沢は言えない。溶けたアイスでさえなければいいのだ。かがりはビニールのなかの『正義』を思って悲しくなった。バニラアイスは正義だが、この世に推しに勝るものはないのだ。尊い犠牲だったと思うしかない。実際、誕生日そのものは終わったが、直接推しに祝ってもらえたどころか現在進行形でプレゼントまでくれようとしているわけだし。……でもできればガリガリ君でなければいい。かがりはわりとワガママな女だった。

「アイス? オマエの誕プレだし、別にいいけど。あ〜でも……やっぱわりぃ、今金持ってねぇわ」

 五十円しか無い、と握っていた手を開いて、鈍く光る穴の空いたワンコインを見せてくれた。ダメ押しのようにもう一度「悪いな」と言って松野がどこか気まずそうにしながらもまっすぐかがりを見る。かがりは怯んだ。自分がせっかくのペヤングを拒否しアイスという代案を出してしまったせいで、推しに感じなくてもいいはずの罪悪感を与えてしまった。

「全然いいよ! 気持ちだけで十分だって。せっかくくれようとしたものをこっちの事情で拒否っちゃったわけだし……」
「そうか?」

 訝しげな顔をする松野はともかく、なんだか嫌な予感がする。具体的にはついさっきにも聞いたような音がしている。ごろごろごろという、なにかを転がすような音。

「──ん? オイ千冬ぅ、オマエまだこんなとこいたのか。さっさと帰れよ……って誰だオマエ。女?」
「げ」
「場地さん!」

 げ、である。




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