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「やっとついた……」

 武蔵神社に目的地を定めたのはいいが、普段倉里家が参るのは他の神社であるのでかがりは武蔵神社に行ったことがなく、たまに迷いながらてくてく地道に歩いてきた。《武蔵神社》と刻まれた石柱があるから、これで間違いということはないだろう。思ったより階段が長い。

「……どなたの社だろう」

 たぶんうちの縄張りではあるはずだが、かがりはまだ機動力のある足を持たないために詳しくは知らない場所も多かった。自若や兄なら知っているとは思うが、少なくともかがりにはここまで小さな社となると心当たりがない。

「お邪魔いたします!」

 階段をのぼりきり、鳥居を潜る前に大きく宣言する。恥ずかしいと思わなくもないが、ひとがいないのは確認済みである。神様に挨拶するのに恥じらったら負けだ。

「御神木、御神木……あった、これだ」

 参道を少し外れたところに注連縄の張り巡らされた、周囲のものと比べてひとまわりふたまわりほど大きな木があった。間違いなくこれが御神木だろう。ぐるっと回って確認してみるが、直近につけられた傷は無いようだった。こうなると、拾った藁人形についての手がかりは何も無いと言っていい。自分から突っ込んだこととはいえ、今日はまだ誕生日である。さすがに今からあちこち巡るのは勘弁したかった。

『おぬし、もしや倉里のむすめではないか?』
「え……っ、あ、あなたさまは……!」

 さてどうするか、とかがりが頭を捻ったところで突然後方から声が聞こえた。まさか人がいるとは思っていなかったから心臓が飛び出そうになる。咄嗟に振り返ると、そこには重そうな、でも決して動けないというわけではない着物の女人がいた。社の戸こそ開いていないが、すぐその前に立っている。見るからにそこから出てきた格好だ。見覚えがある──そのひとを目にした途端、記憶の蓋が開いたような感じがした。見覚えがあるどころではなかった。

『おや。覚えておったか……久しいの。大きゅうなったわ』
「倉里が娘、かがりでございます。ご無沙汰しております、露姫様」

 露姫。神として祀られた、もはやひとでないもの。十二単でこそないが、着物であることからもわかるように大昔の人間だ。
 言いながら、ご無沙汰どころではないなとかがりは後ろめたく思った。この方のことを、かがりは知っていた。なぜなら数年前まで話したり、遊んでもらったりしていたのだから。「どなたの社だろう」じゃないだろう。思い出してみれば、とんだ恩知らずだ。素知らぬ顔で露姫は口元を袖で隠している。思い出した今となっては、懐かしい仕草だった。

『ほほ。よいよい、倉里の子であれば妾の孫も同然よ。かがり、最後におぬしにうたのはたしか七つのときだったかの』
「そうですね……七つまでは神のうち、と申しますから。そう考えると、いち、に……五年ぶりでしょうか。本日付けで十三になりましたので」

 言いながら、かがりは納得がいった気がした。《七つまでは神のうち》──逆に言えば、七つを過ぎれば神の子ではないのだ。いくら数年前の記憶とはいえ露姫のことを忘れていたのは、一概にかがりのせいというだけでは無いのだろう。──では、どうして七つを過ぎたのに今のかがりは露姫が視えているのか? その答えをかがりは朧気ながら掴んでいた。

『ほう! では今日で成人か。それはそれは……おめでとう、かがり』
「ありがとうございます、露姫様。……でもわたしは人間ひとですから、今日で成人というのは正確ではないと思うのですが」
『何を言う。随分昔だが、彼の方・・・は確かにおぬしだと言っていらしたのだ。間違いというわけがあるまい。わかっているだろう、かがり。倉里は彼の方の──』
「──はい。御前様の決定は、絶対。倉里はあの方のものですから」
『いいや。おぬしと、彼の方のものだ。神として祀られようとも、それは妾も例外ではない』

 あの時からな、と歌うように低く笑って露姫はかがりを手招いた。なんだろう。これ以上近寄る必要があるのか? かがりが社の階を降りた彼女の前に歩み寄ると、なぜか露姫はかがりの頭を撫ぜた。

『かがり』
「……はい」
『よきにはからえ。妾をうまく使えよ』

 なにか目的があるのだろう、と露姫はいつものように袖で口元を隠し、ほほほと笑ってそう言った。やっぱりかがりは、あの頃からこのひとに敵わないのだった。


 ブゥゥン、ババババ……

 そうこうしているうちにそんな音が聞こえてきて、ハッとする。バイクの音だ。そして、かがりが今いるこの場所は武蔵神社で、そこは東京卍會の集会場所である。騒音の主の目的地がかがりの現在地であることは想像に容易かった。まだまだ明るいのにな、と思ってぱちり、瞬く。

「早いな」
『おや。小僧どもか』

 声が被る。露姫がどこか意外そうにこちらを見る。

『かがり。おぬし、あの小僧どもと知り合いなのか』
「ええ……まあ、そうですかね。たぶん」

 露姫の言う『小僧ども』が東卍であれば、関わりは特に無いけど推しがいるからそうだろう。……いや、そもそも東卍の隊長のひとりは我らがクラスメイトなのであった。そうなると、かがりは壱番隊隊長と副隊長のふたりと知り合いと言えるのだろうか。十中八九、向こうからは認知されていないだろうけど。

「──ちょっと、好きな人がいて……」
『ほう?』

 堪えきれずにぽつりと零すと、露姫はうっそりと笑った。面白いものを見つけたような笑みだった。首の後ろの毛がざわざわとすこし逆立つ。衝動的なものだったとはいえ、言わない方がよかったかもしれない。

『ほほ、微笑ましいことだ。……そういえばおぬし、ここに何の用だ?』
「……あー、藁人形を拾ったので、まさか丑の刻参りではないだろうという確認に。まあ、パッと見釘の跡はどこにも見つかりませんでしたが……」
『丑の刻参りか……妾も心当たりは無いな。別の方のところではないか? ……いや、かがり。ちとその藁人形とやらを見せてみよ』
「なにか、お分かりになるのですか」
『ふむ……少なくとも、《何も無い》ということはわかるな。我が社ではその丑の刻参りは行われておらぬ。それどころか──』
「……?」
『……いや、なんでもない。それよりかがり、おぬしあの小僧どもとここで鉢合わせてもよいのか』
「えっ、あ、ダメです」
『ダメときたか。まったく、可愛らしいことよの』

 おおよしよし、と愉しそうにそらとぼけた調子で露姫はこちらをあやしてくる。結局、藁人形の謎は地道に解くしかないということなのだろうか。何もかもが振り出しに戻るようで脱力する。

『ほほ、そんな可愛いかがりには妾の加護を与えてやろう』

 そうれ、と軽い調子で露姫は人差し指でかがりの額を突いた。それだけだった。かがりは首を傾げる。ふと、遠いむかし、同じことをされた気がした。


 露姫に見送られながら境内から出て、かがりはしばらくぼうっとしていた。ざわざわと背後で木々が音を立てるのとは別に、遠くからバイクの排気音の重奏が聞こえる。東卍とかち合わせたらどうしようというすこしの焦燥感がかがりの動悸を早めた。腕時計を見ると、短針は四にほど近いところを指し示している。

松野・・も、あの中にいるのかな……)

 知らず伏せていた目を開けば、ちょうど静かにかがりの目の前へと車が滑り込んでくるところだった。かがりはバイクにも車にもちっとも詳しくないので、車種は知らない。ただ、傾いた陽がエンブレムを照らしていた。どうやらHONDAらしい。

「お嬢」
「兄ちゃん?」

 するすると音を立てずに開いた窓の内側で、サングラスをかけた男がそんなことを言うので、つい、咎めるような右肩上がりの声が出た。ついでになんだか聞き捨てならないことを言われたような気がするぞ、と態度に出して睨めつけてみる。男はそんなかがりに苦笑して、サングラスを外した。どうやらもう少し問答に付き合うつもりがあるらしい。

「……、かがり。お望み通り迎えに来たよ」
「うん、ご苦労」
「どこから言ってるの? それ」
「『お嬢』」
「ああ……はい。ごめんなさい、俺が悪うございました」

 実際、目の前の男よりもかがりのほうが立場としては高いので。そもそも、先にそれを意識させたのは兄のほうだ。

「別に謝らなくてもいいけど。他に言うことは無い?」
「他に……、あー……えっと、それはちょっと兄ちゃん勘弁してほしいかな〜、なんて。後で絶対言うからさ」
「へえ。なんで?」
「ちょっと、もーほんと勘弁してよ……」

 頬を掻きながら視線があっちゃこっちゃにいって、本当に困っているようだった。いつもどこか飄々としたところがある男だから、こうも素直だと調子が狂う。

「……意地悪だったね。ごめん」
「まあいいよ、別に。これに関してはかがりが謝ることなんて無いんだから」

 ほんとうに、とぽつんと呟かれて、それはそう、と思う。それはそう。これに関しては、わたしが謝ることはない。あるいは、みんなそうなのかもしれなかった。

「行こうか」
「うん」

 言葉少なにそう言った兄は一度車から降り、なんでもないような顔をして、かがりが乗るためにドアを開けた。「どうぞ」という言葉付きだ。ああ、と思う。

(なんでだろうな)

 かがりはずっと、それがいやだった。




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