ふたりという機能不全


9巻軸現代(武道タイムリープ済)のふたりがパラレルワールドかなんかの血ハロ当日にトリップする話。一虎視点。
 千冬が死んだ。合鍵を預けられていたセーフティハウスの天井を眺めながら一虎は脱力する。これからはひとりで生きていかなければならないと思うと不安だった。一虎の罪はどうしたって消えてなくならないが、それでも自分を迎えに来てくれた千冬と築いた『共犯者』という関係は、涙さえ出ないほどに変わってしまった東京卍會を昔のそれへ戻すために奔走する日々の支えになっていたのだ。

 千冬は死んだ。それでも彼に託されたタケミチと共に、彼の望みを叶えるはずだった。なのに、そのタケミチは一虎とは何も成さないまま、協力者だったはずの橘によって一虎の目の前で逮捕され、手の届かないところに行ってしまった。出所後の一虎のすべては、迎えに来てくれた千冬によって与えられたものだ。もう一虎には何も無かった。死にたい、千冬と一緒にいきたいという気持ちと、入った2回目のネンショーでの面会でドラケンに言われた「死ぬなよ」という言葉が、一虎のなかの天秤の均衡をどうしようもなく保ってしまう。罪深いオレは、楽になりたいがために死を望むなんて許されていないのだから。マイキーの兄貴を、場地を殺してしまったときからずっと味わっている生き地獄が、一虎の足もとで変わらない顔を見せている。一虎の地獄はいつだって、生のかたちをしている。

 千冬を助けたかった。幸せになってほしかった。
 アイツの頼みだからタケミチを助けたけれど、たとえあの時既に助からなくたって千冬を取り戻したかった。空っぽの亡骸だとしても、千冬をあんなところに放置なんてしたくなかった。
 考えれば考えるほどぐう、と喉が鳴って腕で視界を塞ぐ。じわじわと目尻に涙が盛り上がっていく温度を感じる。このまま涙に溺れて、からだのなかの水分を出し切ってからからに乾いて死ねたらどんなに幸せだろうか、と思った。

「ちふゆ……」

 千冬にあいたい。どうか、もう一度、と強く願って、それから一虎は目を閉じた。





 次に一虎が目を開けたとき、視界に入ったのは最後に見たセーフティハウスの天井ではなかった。慌てて起き上がると、意識が落ちる直前まで泣いていたせいか頭が痛んでくらりとからだが傾いだ。ぽすりとやわらかい布団に迎えられて、一虎は目を瞬いた。こんなにやわらかい布団は久しぶりだった。また倒れるのはごめんなので倒れ込んだ姿勢のまま、ぐるぐると現在地を見回す。パッと見だが、ふつうのホテルの一室らしかった。ごろりと寝返りを打って見えた反対側には、一虎が転がっているのとは別の使われた形跡の無いベッドがある。そして、ベッドサイドには大きめの付箋のようなものがひとつ。

「……メモ?」

 頭の痛みを堪えて、ふかふかと沈むベッドのやわらかさに抵抗しながらなんとか起き上がり、かさりと音を立てるそれを手に取る。
 たった一行しかないその文字を見て、一虎は大きく目を見開いた。





 ベッドサイドにあったメモには、死んだはずの千冬のそっけない字で「朝食の時間には戻ります」とだけ書かれていた。慌ててベッドに埋め込まれている時計を見ると、くすんだセグメントがハロウィンの日付を形作っていた。おかしい。今日かどうかははたしてわからないが、少なくとも一虎が最後に見たカレンダーは11/19を指していたはずだ。時間が巻き戻っているのか、それとも一虎の知らない間に一年近く経っていたのか。仮に前者だとしても、ネンショーから出て千冬と共犯者になってからは東卍にバレないようにとひっそり動いていたから、こんな『ふつう』のホテルに千冬と泊まった覚えは一虎には無かった。事はそう単純ではないのかもしれない、と思ってゾッとする。
 それでも、たとえ彼が一虎が知るかぎり死んでいるはずだとしても、千冬がいるらしいという事実は一虎を安心させた。ホテルの朝食の時間というのが何時なのか正確にはわからないが、時計を見る限りもう朝の七時を過ぎているから、メモが正しければきっと外に出ているらしい千冬もそろそろ戻ってくることだろう。

(今度はオレが迎えに行ってやろう)

 そんなことを考えて、玄関に揃えて置かれていた見慣れた自分のスニーカーをつっかけ、部屋の外に出た。パッと見ルームキーは見当たらなかったから、たぶん千冬が持っているのだろう。
 部屋を出てすぐのところに階段を見つけて、一虎は少しの間考え込んだ。それでも最終的にどこかもわからないエレベーターよりもこちらの方が確実かと判断して、朝の日差しに非常灯が不釣り合いに白々しく光っている階段を降りていく。最初は一段一段ちゃんと踏みしめていたのを、なんだかだんだんと気が急いてきてしまって二段飛ばしで駆け下りた。適当に結んでいつも通りまとめなかったブリーチした金の前髪が、ひらひらと一虎の眼前で振り子のように揺れる。

 おそらく一階だというところまで階段を降りると、そこは談話スペースらしかった。人っ子一人いないそこに点在する一人用ソファを避けてロビーへと一直線に駆けようとしたところで、マガジンラックを見つけた一虎は立ち止まった。ひとつ取り上げ、パラパラと捲ってみると随分古い。古いというか、二度もネンショーに入って世間から取り残されたような一虎も知っているようなことばかりが書かれている。それなのに、その割には紙が新しいしあまり草臥れていない。パタンとその雑誌を閉じ裏表紙を見れば「2005/10月」と書かれていた。ワケがわからなくて手当り次第に他のものを見ても、月と西暦がほんの少し前後するだけで、西暦の十の位がゼロでないものは見つからなかった。

 冗談だろと言いたい。ちっとも現実的じゃない。それでも、ベッドサイドの時計、マガジンラックに揃っている2005年前後の複数の雑誌、そして頬を力いっぱい抓ったときの痛みといういくつかのことが、これが現実であることを示していた。
 どうやら一虎はいま、12年前のハロウィン──血のハロウィン当日にいるらしかった。まだ朝は始まったばかりで、きっと一虎が信じきれなかったばかりに死なせてしまった場地の生きている、そんな過去へ。


 ウィーンと自動ドアが開く音が遠くから聞こえた気がして一虎は我に返った。そういえば千冬を迎えに来たんだった。もしかしたら今戻ってきたのがアイツかもしれないと思って、駆け出す。ここが過去であるとか、そういうのはぜんぶ後回しだ。
 一虎が去った後には、マガジンラックから軒並み引き抜かれた雑誌が談話スペースに無造作に山になっていた。





「……千冬!」
「…………かずとら、くん?」

 ゆらりとどこか危なげに振り返った彼は、一虎を捉えたその青い瞳を揺らしていた。最後に見たときと比べても、痩せたな、と他人事のように思う。一虎は千冬の死に目にあえなかった。銃で頭に一発。タケミチ曰く、即死ではなかったという。そんなところまで場地と同じでなくてもよかったのに、と自分だけは言えたことではないとわかりながらも、一虎はそう思った。
 千冬は──千冬も、稀咲に殺された。一虎にとって稀咲は場地の仇であり、そして千冬の仇にさえなったのだ。その事実は、一虎に暗い決心を抱かせた。


 一虎はいま、12年前の過去にいる。たぶん、タイムスリップとかそういうやつ。死んだはずの、千冬を相方として。

 それでも、死んだはずのその男に会えて嬉しいと一虎が手放しに喜ぶことが出来なかったのは、彼が一目見てわかるほどに壊れてしまっていたからだった。
 のっぴきならない状況でも諦めず、ぎらぎらと光を宿していた青い瞳は、がらんどうに。昔ほど素直にとはいかずともきちんと感情を顕していた表情筋は、いつも通りを装うには見慣れたものにとっては似ても似つかない作り笑顔を形取り、その下の無表情が一虎には透けて見えた。

 どうやら過去に戻ったらしいと一虎が気づいたときには、千冬はだいぶダメになっていた。







「おい、オレ・・

 芭流覇羅の特攻服トップクではないスカジャンを翻して、砂ぼこりをまとわりつかせながら、男は一虎に冷え冷えとした声を浴びせかけた。

「……は? 誰だテメェ」
「誰でもいいだろ。つーか、我ながら頭悪いな……」
「さっきからゴチャゴチャ何言って……!」

「うん、まあ、もういいや。アイツ待たせてるし」
「……ガッ…!?」

 前触れもなく抗争のど真ん中に現れたその男は何やらぶつぶつと独り言じみたことを二三言零して、それから一虎を蹴り飛ばした。一虎が握っていたらしいナイフが跳ね飛ばされて地面で金属質な音を立てるのとは別に、蹴りの動作とは一拍遅れてその男の耳に飾られた鈴がリンと鳴る。既視感。ナイフよりは距離が出なかった一虎がどさりと地面へ落ちるのと同時にリンと高い音が響いた。おなじだった。どこまでも。

 一虎と、彼を突然蹴り飛ばしたその男はたしょう雰囲気こそ違うが、おなじだった。






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