今日のつづきで会いましょう


 その日は、八月半ばのいつも通りの暑さだった。天気予報はしきりに明日からが夏とは思えない涼しさであることを淡々と告げている。どうやら台風の影響らしい。そんなことに興味のないかがりは朝から、夏休みが着々と終わりに近づいていることに小六になってまで不貞腐れていた。お昼ご飯に素麺を遠慮なく掻っ込み、夕方に近づき雲の向こうで日が和らぎ暗くなってきても、虚脱感に支配されたかがりは、りんりんと提げられた風鈴が涼やかに鳴り続ける縁側に面した廊下で大の字になって何もせずに過ごした。理由の知れた虚脱感とは別に、なにか忘れていることがある気がしたが思い出せない。

「かがり」

曇り空とはいえ、閉じていた目を細めると少し傾いた日が鋭く射し込んできて痛く、瞬きをすればその一瞬の間にぬっと見慣れた兄の顔がかがりを覗き込んでいた。いつもよりは多少涼しいとはいえ夏のこの暑さだ、普段着ている作務衣ではなくきちんとした外出着であるのがなんだか物珍しい感じがした。

「……兄ちゃん。どっか行くの?」
「バイク屋に行くんだよ」

バイク屋。その言葉に、ちかりとなにかが脳裏で瞬いた気がした。やっぱりなにかを忘れている。じじじと波のある蝉の声がうるさかった。

「ふーん……どこのバイク屋さん?」
「S.S MOTORSってとこ。一緒のチームだったやつがやってるらしくてさ」
「わたしも行きたい!」
「いいけど、かがりにとっては別に楽しくないかもしれないよ」
「いーの、兄ちゃんのバイク乗りたいし」

ねえ乗るんでしょ、と期待の視線を向けると兄は聞き分けのない妹を見る目でしょうがないなと笑った。バイク屋に行くからにはかがりのせいにしなくても乗っていっただろうに、ずるい大人だ。でも、そんなずるい大人な兄がかがりは好きだった。



「おおお〜……!」

バイク。バイクバイクバイク。子どもの足では少し遠いガレージでしか見たことが無いそれが、ずらりと並んでいて壮観だった。が、思わず通りに面したガラスに張り付く。外から丸見えだし、むしろこちらからも向こう側にある店で知らない人が物色している姿まではっきり見える。かがりなら働くのを遠慮したいタイプの衆人環視だ。

「なああの子、オマエの妹さん?」
「まあそんなとこ。それよりさ……水臭いじゃないか、真一郎。なんで教えてくんなかったんだよ」

かがりを放って話し始めた兄と店主を横目に、なんとなしに近くのバイクの前にしゃがみこんで後輪につけられた鎖を持ち上げた。重い。駐車場に行けば別だろうけど、こんなに太いチェーンはそうそう見ない。

「いや、なんでもなにも、オマエとっくに抜けてて会わなかっただろ」
「はぁ? ケー番持ってんだからメールでもなんでもしてくりゃよかったじゃねえか。今頃になって『お前知らなかったのか?』って半笑いで教えられたこっちの身にもなれよ」
「知らねぇよ……つか、誰がンなこと言ったんだ」
「わかってんのに聞かなくてもよくない? アイツだよアイツ。ボコボコにしてやろうかと思ったよね」

兄はかがりの前では滅多に声を荒げることはないが、あの店主の前では“そう”ならしく、普段の優しげなものだったり乱暴だったりで口調がメチャクチャだった。同世代としては穏やかな方に分類されるものの、結局倉里の誰しもがガラの悪い時代を通ってきている。それは兄も例外ではない。つまりはみんな元ヤンか現役なのだ。

「あーそう……で、お客様、本日はどのようなご用事で当店にいらっしゃったんですかコラ」
「客に凄むなよ……単車バイクの整備お願いします。弟にやるんで、徹底的に」
「あ、オマエもやんのか?」
?」
「いやーうちの弟、もうすぐ誕生日でよ。アレ、やろうと思って整備してんだよなー」
「アレ、って……真一郎のCB250Tバブ?」
「そ。『バブしか乗りたくねぇ』って、族の総長やってんのに原チャ乗ってんだよ、うちの弟。かわいいだろー? まあこないだ自分で壊したらしいけど」
「自分でって、何やってんだよ弟くん……それにしたって、なんで店にそのバブが並んでるワケ?」
「サプライズだよ! 今からアイツの驚く顔が目に浮かぶね」
「いや売る気のないものを並べるなよ。ディスプレイにあんのに買えないとか、客ががっかりするだろ」

だってよー、と真一郎くんがわざとらしくふくれっ面をするのを兄が小突く。その姿はさすが兄弟と言うべきか、マイキーとよく似ていた。だが口には出さないが残念ながらかがりも兄と同意見である。売る気も表示もないのに非売品を店頭に並べないでほしい。

ふたりはバイクの整備をしたりしながらかれこれ二時間ほど話していたが、何やら用事を思い出したとかで帰って行った。バイクは整備のため預けているので徒歩で。




「んん……、……あれ、寝てた?」

ガチャンというなにか硬いものが壊れるような音がした気がして目が覚めた。暑い夏になんの対策をすることもなく寝ていたからか、立ち上がると頭がくらくらする。立ちくらみだろうか。水分を最後にいつとったのかも覚えていないから、水分不足かもしれない。

「ウワ暗っ……もう夜? ていうかここどこだっけ」

昼より夜の方が元気なタイプなかがりも、さすがに寝起きがどことも知れない暗闇では頭が働かず、結果全部考えたことが口から出ていく。

「えーっと……なんかやる気でなくて、兄ちゃんにバイク乗せてもらって、それで……あっここバイク屋か! ……なんで店で寝てんのわたし!?」

どう考えても真っ暗だしもう閉店している。どうやら兄に存在を忘れられたらしい。時々あることだから傷つきはしないが、それはそうとして納得できない。

「小学生放置するなよ……強請ったのはこっちだけど監督責任ってもんがあるでしょうが、バカ兄貴。じじ様に怒られてしまえ。……てかこれなんの音? 人の声?」

「──! ──、───!」
「─し──!」

「向こうから? でも確か、あっちって店じゃ……」

時計を見れば既に日付が変わり、3時を回っている。実際その場にいるかがりが言うことではないが、既に閉まっている店で人の声がするのはありえなかった。それこそ、泥棒でもなければ。

「──ドロボー……?」

昨日が12日だから、日付が変わった今日は2003年8月13日。ここは《S.S MOTORS》。真一郎くんの店。ディスプレイには中古のCB250Tバブ。マイキーのための、彼の兄からの誕生日プレゼント。閉まっているはずの店で聞こえる人の声、幻聴かと思っていた寝起きに聞こえたガチャンという何かが壊れる音──否、壊される音。

「東京卍リベンジャーズ……!」

忘れていると思っていたなにか・・・は、マイキーの兄である真一郎くんが殺され、一虎は罪を犯し、場地は罪を背負う──間違いなく善意であったものが最悪の結果を産んだ、作中一とも言える悲劇。それが今日であるということそのものだった。

「しっ……真一郎くん……!」

どうにか阻止しなければいけない。ここまでお膳立てされておいて何もせずに、何もできずに終われるものか。あの事件さえ起こらなければ、真一郎くんさえこの場で死ななければ──未来で起きるかもしれないいくつかの悲劇の種が実になるのを防げたのかもしれない。そして何より、かがり自身が真一郎くんに死んでほしくなかった。

兄の大事なひとだ。
そして──かがりの大好きなひとの、大好きで大事なひとのためにも。


一歩進むごとに目眩がする。緊張のせいか、口の中はずっとカラカラだ。そもそも自分が寝ていたのがどこかわからない。ガンガンとまるで踏切の警報みたいに音が鳴っている気がする。暑い。とにかく、重いからだを引き摺って歩いた先にあった戸を開いた。
 ひとが立っている。真一郎くんだ。シャッターの向こう側がなぜか騒がしい気がした。

「──ケースケか?」
「し、んいち、ろー、くん……!」

カラカラの喉を震わせてどうにか真一郎くんの名前を呼べば、彼と、もうひとり黒ずくめの同い年くらいの少年がこちらの方を向いた。たぶん、状況的に場地圭介だ。──間に合った。

「え、なんでここにいんの? かがりちゃん」
「それぇ、けほ、それは……」

たぶん、油断していた。事件が起こることは避けられたのだと、勝手に終わった気になっていた。もし一虎が襲ってきても、自分が対応できないことはないと──目が、眩むのに。

「──やめろ、一虎あぁ!!!」
「なあ! お嬢知らな──避けろ真一郎!!」

「…………え?」
「は……?」

ガツンと、重い音がして。同時にひとが倒れた。現実できりもみ回転って実際あるんだなと思った。──なにもかも、現実味が無かった。
番線ワイヤーカッターを持ってこちらへと走ってくる一虎であろう黒ずくめの少年が視界に入ってきたその時、なぜか、焦った様子のかがりの兄が店に駆け込んできて──目を見開いてそのまま、真一郎くんを庇った。突き飛ばされ、真一郎くんは目を白黒させている。生きている。だけど、床にじわじわと血の池ができていく。床で倒れ血を流しているのは兄だ。倉里の人間だ。お嬢なんて呼ぶな、って言ったのに。
 本能なんて、クソ喰らえだ。
 ガンガンと頭が痛みぐらぐらと揺れる視界のなか、そう思って──かがりは目を閉じてしまった。


 結局、あの後熱中症で倒れたかがりは目覚めると一連の記憶と、思い出したはずの前世の記憶というやつを失っていた。どうやらあの日、帰宅後にかがりの存在を忘れていたことに気付いた兄によって、かがりは何人かの倉里の人間に探されていたらしい。あの時シャッターの向こうが騒がしいと感じたのは気のせいではなかったのだ。
 ──けれども、そんなことを聞かされても、事件の記憶を失ったかがりにとっては、自分とは無関係な他人事でしかなかった。
 だからかがりは、あれから真一郎くんと場地と一虎がどうなったのかを知らない。

 時は2003年6月19日。十二歳の誕生日。思い出せば、この時既に一度、かがりの記憶の蓋は開いていた。そして約二ヶ月後あの事件に介入し──すべてを、忘れた。
その一年後にまた、まるでそれが初めてかのように──すべてを思い出すのは、また別の話だ。




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