溢水


 そのひとが、あんまり静かにそう云うもんだから、すこし驚いてしまったんだ。



「しにたくないなあ、」
それはもう唐突にそんなことを云ったひとのことを思い出した。

 そのひとはいつも穏やかに笑っているように見えた。笑っているとはいっても、ほんとうにすこし口の端を上げているだけだ。それでも、あのひとは穏やかで、やさしくて、そして笑っていた。それはたぶん、あのひとの瞳に泣きたくなるほどのやさしさが溢れていたからだろう。

 みんながあのひとを褒め称えた。
 あのひとは謙遜なのか、手をすこし振って、困った顔のようなまま微笑んでいた。

 俺は「まもってくれ」としがみついた。あのひとの階級は高かった。それだけ生き残ってきたということだ。
 あのひとはなにかを憐れむような瞳をしながら、俺の頭をそろそろと撫でた。まるでなにか、触れたら壊れそうなものに触れるような手付きだった。





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