【吸血鬼 初恋拗らせ十数年】


 最悪だ。
 初恋を拗らせている相手がいつの間にやら同業者になっていて、しかも自分よりも売れている。この時点で最悪ポイントを稼ぎまくっているのに、そのくせ本業は別にあるらしい。
 まさかこんな最悪なことがこの世にあるとは露とも思わなかったし、できるならば信じたくない。荼毘に付せ。


 狭間コノエは売れない文筆家である。
 自分で言うほど虚しいことは無いが、世間的に見て、それがもっともただしい評価であることは確かだった。
 かといって、生活をきりに切りつめ細々と文章を書いてどうにか食っている──というわけではない。ありがたいことにコノエは実家が太いのだ。おかげで、どれだけ本業が立ち行かず追いつめに追いつめられても、おそらくコノエが食うに困ることはない。おそらくというのは、幸運なことにコノエに未だそこまでの状況に陥った経験がないためであって、それ以外にはすこしの疑いもない。
 なぜならコノエは一族の一人娘のそのまた一人娘であって、現当主たる祖父を筆頭にした親戚たちに猫可愛がりと言って差し支えない程度に溺愛されている──その愛情をちょっとでも疑うのがバカらしくなるくらいには。

 それはそうとして、書いた物が悲しいほどにまったく中らないがためにどれほどそれが金持ちの道楽としか見えずとも、狭間コノエには、己がいちおう一端の文筆家であるという自負があった。好きなことをして生計を立てているのだから当然といえば当然である。
 ところがコノエが文筆家として生計を立てるようになってから二、三年が経った頃に訪れた書店で、狭間コノエの天地はひっくり返ったようになった。
 その日、コノエはアイデアのインプット用にまだ見ぬ物語を求めて近場でもっとも大きな書店を訪ねていた。コノエが〆切を抱えていたのはもう随分前だったので、一日どころか数日を発掘に費やしても時間は余りある。追われる〆切が無いのは心理的には良いとも悪いとも言えなかったが、要は仕事が無いということであるから、いつでもコノエの心の片隅にはもやもやと焦燥感があった。
 ここへ来る前に他に立ち寄った本屋で出会った数冊の本を背負っていたリュックに大切に仕舞ってからコノエが覗いた店頭には、見慣れない赤い装丁のハードカバーが平積みになっていた。表紙にはどこか疾走感のあるふうに銃を構えた男が躍っている。低い山の高さが均一でない様子からは既にそこそこの冊数が捌けていることが窺えた。

(オータム書店……?)

 知らない文庫だ、とそれだけをそのときは思った。まじまじと手に取って装丁を眺めると、幾ばくもないうちに描かれた男の顔がコノエの記憶のなかのある人物とぴったり重なって、思わずあっと声が出た。タイトルにも含まれている作者名にはちっとも心当たりが無いが、銀の髪に青い瞳の整った顔立ちをした男の絵姿はまるきりコノエの知り合いそのものだった。というか、年単位で連絡を取っていないが知り合いどころか幼馴染だし、なんなら初恋相手である。それも、現在進行形で拗らせた、だ。
 泣きたい。なんだって未だに初恋を拗らせている相手が同じ業界にいて、しかも自分より売れているんだ。泣くしかない。そのうえポップの紹介文によればあくまで本業は現役の退治人で、執筆は副業であるらしい。ますます泣きたい。胸がいっぱいで、それこそ、身も蓋もなくここで崩れ落ちて泣いてしまいたかった。一端の社会人として、さすがにそんなことはできないが。
 なんだか頭痛がしてきた気がして、コノエは顔の半分を覆っていた大きめのサングラスを外して目頭を抑えた。目元でピチャリと涙になりきらない水分が音を立てたのに、案外マジで泣きそうになっていたんだなと気づいた。なんでネタを仕入れに来てこんなクソデカダメージを負わなきゃいけないんだろう。プライド的にも恋心的にも、どちらにせよ致命傷だ。ここまで来ると逆に売れてェ〜〜という気持ちがふつふつと湧き上がってきすらする。売れたい。
 売れて、それから正々堂々と同業者(相手の本業は退治人だが)として相対してやりたい。というかそうでもしなければ合わせる顔がない。本人の性格的にバカにしてくるとかそういうことは無いだろうけど、どの面下げて自分より売れている相手に同業者です、なんて言えるだろう。言えない。言えるわけがない。
 これはコノエのプライド、ひいては恋心の問題なのだ。
 目指すは新横浜。
 数年前に離れたコノエの地元であり、そして吸血鬼退治人ロナルドがいる町だ。


────────***────────


「今日も良い夜だなあ。ほらロナルド君、あっちにビニール袋が落ちているよ。猫撫で声で話しかけたりせんのかね」
「てててテメェ見てたのかよ殺す!!! 思い出させるな!!」
ドムッ スナァ……
「ナスナス……何をだね。もしや君が昨日アレを猫と間違えてあま〜い声を出していたことかな」
「わかってんじゃねえか死ね!!」
「ブェーッ!」
「ヌー!」

「ギャーッ吸血鬼ーーッ!!!」

「ギャーッなになになに野球拳!? 人生初なんですけどてかそもそもぼくハチャメチャにジャンケン弱いんだよぉ!!」
「おおっとアンタ、いま『ハジメテ』って言った!? 人生初の野球拳、いい響きだなぁ!!」
「ア゙ーッ、また負けた!! そうこう言ってるうちに負けた!! ふざけんなこの変態!!」
「大丈夫ですか……って、またお前か野球拳! いい加減懲りろよテメェ!!」
「お〜やロナルドとドラルクじゃねぇか。残念だったなァ、今回は一般人の姉ちゃんだからいつものようにはいかないぜ! この姉ちゃんが脱ぐまで大人しくそこで指をくわえて見てるんだな!」
「また負け……ッ、クソッ、これ以上脱いでたまるか! かくなる上は──暴力! やはり暴力はすべてに打ち勝つ!!」
「ぎゃああああ!!!!!」
「ウワァーッあのお嬢さんなんの躊躇もなく野球拳君の股間を狙いにいったよ!!」
「みみ見てるだけで痛い」
「声ぷるっぷるだぞロナルド君。ロナル子になる恐怖でも思い出したか?」
「殺す」

「それにしても痛そ〜……イヤ、ホントに一般人なんだよね? それこそ若造やマリアさん並に躊躇ゼロだったんだけど」
「ウワァアアア!!! し!! 死!!!」
「そんでもってなんで野球拳君に暴力を振るった側の彼女まで暴れているんだ」


「あっスミマセン……なんかお見苦しいところを見せたうえに拾ってもらっちゃって」
「いえ、こっちこそ助けに入れなくてすみません……あれ、サングラス……?」
「……おや。これは驚いた。お嬢さん、君、同胞かね」
「同胞……って、吸血鬼?」






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