眩心


「……あ、」

「久しぶりですね。綾」


 月下綾のサボリ癖は、四番隊では有名な話だった。彼女本人は然程気にしていないのだが、大体三日に一度はサボる。(その上真面目に仕事をしているときでさえ手を抜いているのだが、そこまで気付いている者は幸か不幸かいなかった。)

 その癖は五番隊に移隊したからといって消えるわけもない。今日なんかは、天気が良いからという理由だけで昼寝をしようと思い立ち、彼女は執務室に顔を出すこともせずに屋根に上って寝転んでいた。

 ただ珍しく、本当に珍しく、彼女は今サボったことを後悔した。


「卯ノ花隊長……」


 名を呼ばれてもやってきた女性は動ぜず、にっこりと笑って、綾の隣に座る。卯ノ花の笑顔は恐怖を呼ぶという噂もあるのだが、勿論彼女が恐怖を感じたことなど、ただの一度もない。どんな時であれ、目が合えば心が分かるのだから、恐怖など感じる必要もなかったのだ。

 今だって、そう。卯ノ花の心はいつも通り、少し呆れたような、それでいて無邪気な子供をあやしているかのような、そんな気分なのだ。卯ノ花にとっては、綾はいつでもそのような存在だった。


「どうです? 五番隊は。穏やかな隊だと言われているようですが」


 ほら出た、と綾は思う。どれだけ穏健派なんだ、五番隊は。

 流石に卯ノ花を邪見にするわけにもいかず、ええ、まあ、と曖昧に頷いておく。それを彼女は、綾がまだ馴染めていないと取ったらしく、心の中で密かに悲しんだようだ。目を見てしまった綾はそれを理解すると罪悪感を感じ、少し馴染んでいるふりでもしようかと、ギンの話をしてみることにした。

 ギンに蕎麦屋に連れて行ってもらった一件を話す。ギンもつい最近入ったばかりであるおかげか、新入りの綾と親交を深めたというのは信憑性が高いのである。


「馴染めているようで何よりです」

「卯ノ花隊長ってば、子どもじゃないんですから」

「貴女はとても強い女性です。鬼道による治癒があまりに巧みであるために四番隊に所属していただいたのですが、戦闘能力も非常に高い」


 そこまで言ってから、卯ノ花は思い出したように、隠しているようですが、と付け足した。意地の悪い人だ。ギンが、京都弁では意地悪な人のことをいけずと呼ぶんだと言っていたのを綾はふと思い出す。卯ノ花隊長のいけず。


「その強さ故か、貴女は他人と何処か一線を画して接する傾向があります。それを冷たいと取る人もいるでしょう。ですから、貴女が五番隊で、上手くやれているのか、心配していたのですが」


 どうやら杞憂だったようですね。

 卯ノ花は結局、綾の時間外休息を咎めることもなく、それだけのことを一方的に喋って去ってしまった。一人残された綾は、一人きりの空間に思い切り溜息を吐いた。腰に差した斬魄刀に触れる。無機物らしいその冷たさが、心地良い。


 綾は卯ノ花が嫌いだった。

 いや、分からない。そう、正直分からないのだ。本当に自分を気にかけ心配してくれるあの心も、全て見抜かれてしまいそうなあの洞察力も、どうすればいいのか、戸惑ってしまうのだ。


―――随分とまあ、大人びた子ですね

 "きっと見なくてもいいことを見て、聞かなくてもいいことを聞いて、知らなくてもいいことを知ってきてしまった子なのだろう"。初めて綾に卯ノ花が対面したとき、綾はそのような心の声を聞いた。そして感心した。きっとその通りなのだ。読心能力のせいで、彼女は霊術院時代から人の心の闇を深く知ることがまるで義務付けられていた。



 予期せぬ来客に盛大にサボリの安息心を乱された綾は、とにかく心を落ち着けて寝ようともう一度深く目を閉じた。の、だが。


「また、邪魔……」


 目の前にはたりはたりと羽ばたく黒い揚羽蝶。地獄蝶だ。仕方なく出された人差し指に止まると、揚羽蝶はただ無感情に伝令を伝えた。案の定、平子からのお叱り兼お呼び出しである。


『綾、さっさと仕事来んかいボケ。市丸が綾ちゃん何処や言うて喚いてんねんぞ』


 あの蕎麦屋の一件以来、ギンは何故か綾に懐いていた。あんな愛らしい子どもに懐かれるのは、流石に綾でも悪い気はしない。子どもの心というのは、例えギンのように大変な過去を送ってきた子であれ、純粋なのだ。それは、腐った大人の腐った心ばかりを見てきた彼女を、途轍もない癒しとなって慰めてくれる。


「はいはい、すぐ戻りますよっと」


 どうせ卯ノ花隊長と喋ったおかげで目なんてすっかり醒めてしまったのだ。誰にともなく言い訳のような返事をすると、綾は青空の下、高い屋根を飛び降りた。



prev / next



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -