化合


「お昼食べに行かん? 綾ちゃん」

 執務室に、まだ声変わりしていない少年の声が響く。他の席官に倣って程良く手を抜きながら仕事を続けていた綾は、ぼんやりしていたせいか、名前を呼ばれたにも関わらず、声を掛けられたのが自分であるとしばらく分からずにいた。数秒の時差をおいて我に返り、横に立っている幼い三席に顔を向ける。銀色の髪。小さな死覇装。狐を連想させる鋭い糸目。

 藍染から聞いてはいた。五番隊三席、市丸ギン。
 この少年もまた、彼の部下であるのだと。

「ボク、美味しいお蕎麦屋さん知っとんねん。な、行こ」

 明らかに何かを企んでいる誘いにも、綾は微笑み優しく頷く。随分特徴的な容姿ではあるが、端正な顔立ちであることに違いはない。何にせよ、愛らしい子どもだ。五番隊もまた彼にはいささか寛容であるらしく、昼休憩までは後十数分残っていたのだが、執務室に行き渡ったはずの彼の先程の言葉に、お咎めは一つとしてかからなかった。羨ましいことだ。

 書類を机の隅に纏めて立ち上がると、そわそわとしていたギンが綾の白い手を取って早足に歩き始めた。ドキっとするほど、小さな手だった。今の護廷は、こんな小さな子どもにも剣を握らせるのか。そう思うと、なぜか無性にいたたまれない気持ちがして、きゅっとその手を握り返した。先程目を合わせたに"読んだ"彼の心、その中に潜む大きな警戒心は、誰にむけられたものであれ、本来子どもが持てるようなものではないはずだ。

「隊長サン、綾ちゃんとご飯行ってくるわ」
「おー、行ってきー」

 ひらりひらりと気怠く振られた手。綾が一応、すみませんがお先に失礼します、と声をかけると、隊長も副隊長も、午前中に戻ってきた隊員たちもが頷いた。こんな穏やかな隊で、ある意味一番穏やかに見える男が、この上なく残虐非道な背信行為をすることになるなど、誰も予想できないだろう。藍染によれば、平子真子、ただ一人を除いて。



 ギンに連れられてやってきた場所は、彼女が以前評判を耳にした食事処だった。麺類ならば基本なんでもあるが、ギンによれば蕎麦がおすすめなのだという。言葉通りにざる蕎麦と磯部揚げを頼んで、小さな衝立で仕切られた席へとつくと、ギンは既に先に注文していた蕎麦を口にしながら、にこにこと笑っていた。

「……市丸三席、」
「そな長ったるい呼び方せんといて。ギン、や」
「じゃあ、……ギン。私のこと、彼から聞いたんでしょう」

 十二番隊に行く最中ギンに君のことを話したと、執務室に戻ってきた藍染は、彼女と目を合わせることで読心能力を使わせ伝えていた。声を媒介とせずに、また証拠として残る紙なども使わずに情報の共有ができるのが、彼女の能力の大きな長所だった。

 ところで、まさか糸目だからというわけではなかろうが、ギンの心はどうも読み取り辛い。ふんふんと楽しそうに頷きながらも、彼の心は少しも楽しそうではないようだ。痺れてきた脳味噌に綾は諦めたように溜息を吐いて、大人しく蕎麦を口に運んだ。読心だって、体力は消耗するのだ。

「私にはあなたがよく分からない」
「え、なんで? 全部読めるんやろ」
「読んだ上での話だよ。あなたが背負ってるものは、子どもには荷が重すぎる。……そうじゃない?」

 彼女に隠し通せる事実など、存在しない。ギンは、藍染の部下であっても、仲間ではないのだ。それを藍染ははたして理解しているのか。綾にはわからなかったけれど。

 家族か、あるいは彼女だろうか、ギンの心の中に大きく刻まれている名前の持ち主は。

 藍染には言うな、という彼の心の叫びに、綾は微笑ましくなって、大丈夫だよ、とだけ告げた。成程、今回わざわざ昼に呼び出したのは、こうして釘を刺す目的もあったらしい。こんな小さな死神があの男に刃向っても、あっさり返り討ちに合うのが落ちだとは思うけれど、もう少し大きくなれば分からないかもしれない。ほとんど他人の霊圧というものを気に留めない彼女でさえ、ギンの霊圧には気圧されるものがあったのだから。

 取り越し苦労だね、と、彼女は内心で笑う。読心能力を持ってから、彼女は一度もその能力で知り得た情報を他人に渡すことをしなかった。勿論、能力のことを他人に話したこともない。それで他人の面倒事に巻き込まれるのも、不用意に情報源を疑われるのもご免だったからだ。

 だから今、彼女の力を知っているのは、藍染とこの少年、そして東仙要だけなのだ。

「ボク、もう決めてん。せやから、今更逃げるなんて、せえへんよ」
「……そう」

 逃げられないの間違いじゃないのか、とは、言わなかった。言えなかった。

 五番隊の穏やかな隊風というのは、どうやら外部から見た様子でしかないらしい。人の心の声を聞ける綾には、最早他のどの隊よりも空気が張りつめているように思えてならないのだ。平子は、藍染はおろか自分も疑っている。ギンは藍染を憎んでいる。みんな心の奥底を、それはもう上手に隠して互いに笑い合っているのだ。そういえばそんな世界を書いた話をいつしか聞いたなと、綾は考える。

 これだから、生きていくのはこんなにも辛いというのに。
 藍染。あなたは、本当に"これ"がない世界を創れるの。

(141005 加筆修正)

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