玩具


ーー読めるの、人の心が

 藍染は己の耳を疑った。ほとんど囁き声のように掠れていた呟きが、いつまでも彼の脳を揺らしている。綾はそんな彼の内なる動揺を知ってか、ただ只管に沈黙を保って、彼が反応を寄越すのを待っていた。その間に、彼はゆっくりと、今しがた放たれた言葉の意味を咀嚼する。

 人の心が、読める。読心術、のようなものだろうか。
 しかし、読心術とは、名前こそ大層であれ、やっていることはただの心理学の応用だ。相手の行動、口調、目線の動き等から心理状態を予測する。……そう、それはあくまでただの"予測"にすぎないものだ。どれほど読心術を極めている者でも、心を読めるだなんて馬鹿なわけは、ない。そんな人間など、いるはずがない。

「ごめん、読心術じゃないの」

 と、綾が言った。相変わらず、静かな声だった。この完璧な満月の下に、少しでも綻びを作りたくないかのように、なるたけ穏やかな声で、彼女はそう言った。もしかしたらそれは、藍染を少しでも驚かさないようにという配慮だったのかもしれない。しかしそうだとしても、彼女がたった今、まさに彼の頭を過っていた"読心術"という言葉を口にした、それだけで藍染は十分すぎるほど胸裏で驚嘆していた。

「説明はできない。理由も言えない。この力がどうして芽生えたのか、私だって知りたいくらい。でも、本当に、読めるんだよ」

 声は、寂しげに低くなる。彼女の言葉に嘘がないことを、藍染はもう知っている。彼の混乱がほどほど治まったことを、心を読んで知ったのだろうか。彼女は目を伏せて微笑むと、また、声の調子にいくらかの明瞭さを戻して、このようなことを語った。


 月下綾にその能力が宿った(或いは、芽吹いた)のは、真央霊術院に入って二年目のことだった。虚討伐の授業の最中に大群に襲われ、為す術もなく死を覚悟した瞬間、目の前の虚の思考が流れるように頭に押し寄せてきた。そのときは脳がその負担についていけなかったのだろうか、すぐに気を失ってしまったのだが、駆け付けた護廷十三隊に救助され目を醒ましたその後も、ずっと他人の考えていること全てが滝のように脳に流れ込んでくる。

 さて、どうしたものか。友人を前にしても先輩を前にしても、皆その本心を垂れ流してくるのだから、平常心を保っていられるはずもない。彼女は人と接することを極端に避けるようになり、やがて希薄になった友人関係の中で、飛び級により三年目で霊術院を卒業する頃には、彼女の存在を気に留める者はほとんどいなくなっていた。そうして護廷十三隊に入り、四番隊に配属され、何十年かが経った、この満月の夜。

 彼女は、藍染惣右介と出逢った。

「人と接することを避けたという割には、口がよく回るようだね」
「護廷に入ってからは大分慣れたから。もう何十年も経ってるし、いい加減能力の扱い方くらいは分かってきたしね」

 綾はどこから持ってきたのか、いつのまにか串団子を頬張りながら笑う。両頬に大量に甘味を詰めているその様子は、何と言うか、子供のようだった。食べる?、と差し出されたもう一本の団子に首を横に振ると、彼女はしかし大して気にもせず、ふうんとだけ言って自分で食べ始めた。

 不思議な話があるものだと思った。

「ちなみにね、私は相手の目を見てないと"中身"を読めないから、読みたくないときは目を見なければいいって、それだけなの。対処法」
「しかし、会話中に全く目を見ずというのも不可能だろう」
「うん。だから、分かってないフリして喋るんだよ。結構大変なんだけど、慣れた。それに、ほら、」

 今だって、そうしてるわけだしね。

 女は藍染の目を見つめ、にたりという効果音が付きそうな笑みを浮かべた。取ってつけたような作り笑いは、そう、彼の部下の三席がよくする表情と似ている。

「じゃあ、今僕が君に対して思っていることも、分かるのだろう」

 藍染の声が、途端に低くなる。逃さないとでもいうように綾の目を見つめ、先程まで首に触れていた手を頬に滑らせた。逃さない。もうここで出会ってしまったのだから、君は逃げられないのだと、暗に、それでいて明確に、諭すように考えるのだ。

 綾は頷いた。が、頷いただけだった。口を噤んで、静かに彼を見つめていた。大きな月の下で二人が見つめ合う様は、きっとさぞかし絵になっていたのだろう。どうせなら死覇装と斬魄刀も身に着けておくべきだったと、そんなことをふと思ったとき、女が笑った。

「私と、ともに来なさい。綾」

 それは優しく甘く、柔らかで、しかし反論をけして赦さない命令だった。僅かに上がった彼の霊圧は、きっと無意識に、強大な力を持つ彼女を我が物にと、屈服させる意味を孕んでいる。

 では、触発されるようにして倍増した彼女の霊圧は、また、

「それは、できないよ」

 彼に反抗するためだったのだろう。

 藍染は穏やかな笑顔を崩すことはしなかった。ある程度は予想していたことなのかもしれない。彼女自身もまた、彼の中に動揺の気持ちを読み取ることは出来なかった。彼の中にあるのは、ただの大きな愉悦と、征服欲だった。

「だって私、死にたいんだもの」

 そう、丁度遊びたい盛りの幼子が、とても面白い玩具を手に入れたときのように。

(141014 加筆修正)

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