月光


 案外呆気ないものだと、藍染は思った。地に這いつくばる上司や他の隊長格も、どうやら自分が手を下すまでもないよう。苦し紛れに吐き捨てられた強がりも、少しも面白くない。成程、と深く受け止めるふりをして、肩を竦めた。

 彼を欺いていた斬魄刀を抜くと、青い月光が反射して、不気味に怪しく刃先が輝く。平子が息を呑んだ気がした。こんなときでも、脳裏に浮かぶのは今頃深く眠っているだろう彼女だ。平子を殺せば、きっと彼女は深く悲しむだろう。泣くだろう。どうして助けられなかったと自身を責めるだろう。しかし藍染は、心の何処かで確信していた。彼女は自分を責めても、藍染を責めることはけしてないと。藍染を憎むことだけはないと。どうしてかは分からないが、ただの願望であるはずのそれは当たり前の事実のように、彼に理解されていた。


「ところで、死ぬ前に一つ教えて差し上げましょう」


 空に孤独に浮かぶ三日月を仰ぎ、藍染は少し優しく笑う。平子が訝しげに眉根を寄せる。


「貴方が最初疑っておられた月下綾ですが」

「綾……、まさか綾まで手にかけたんか、藍染!」

「少し黙って聞いてもらえますか。僕が彼女を殺すわけがないでしょう」


 ありもしない可能性を声高に咎められ、彼は不快感をその声音に滲ませながら、間髪入れずに返した。そこには護廷の皆が思い描くような藍染惣右介の面影など、微塵も残ってはいない。穏やかで冷静で、仲間を大切にする心優しい五番隊副隊長など、どこにも存在してはいない。


「貴方が綾を疑ったことに関しては、賞賛せざるを得ません。彼女は人を欺くことにおいて、常人より遥かに優れているのに」

「どういう、意味や。……まさか、」

「そうですよ。綾は、僕の……、仲間、です」


 平子はそれを聞き、わずかに動揺を見せたが、すぐにもとの冷静さを取り戻すと、藍染が喋り続ける経緯に耳を傾けた。前の四席を自分が殺し、その席に綾を推薦することで彼女を五番隊に移籍させた。卯ノ花に疑われなかったのは幸いだった。大体そんなようなことだ。彼女が貴方やそこに倒れてる方々に害を与えることはなかったでしょうね、彼女は優しいから。そんな風に嘲る藍染に、平子は拳を握り締める。


「せや、あいつは、綾は、優しい奴や。それを、お前がこんな危ないことに引き摺り込んだ」


 あの月夜、藍染と綾がもし出逢っていなかったならば。

 世界は大きく変わっていた。綾は勿論、藍染自身もまたそうであるはずだ。二人が二人、互いの未来にある道を大きく変えたのだ。そして、その行き先の変わった綾の道が、望ましくない危険な領域であると、藍染がそうさせたと、平子は言う。


「お前が綾を苦しめとるんや、藍染」


 告げた言葉は酷く鋭く、藍染の心を抉った。それを"読む"誰かはこの場にはいなかったけれど、それでも平子は、自分の言葉が藍染を深く傷付けたことが容易に分かった。同情する気持ちなど彼の中には少しも無かったが、藍染がどれだけ彼女を大切にしているのかだけは伝わった。そんなの、知っていますよ。そう呟いた藍染の声は、少し、弱い。


「何にせよ、これ以上あなたが知る必要はない。……さようなら、平子隊長。あなたたちは、素晴らしい材料だった」


 高々と振り上げられた藍染の斬魄刀。これで終わりだ、と彼は思う。きっと涙を流すだろう綾を想いながら、背に月の光が当たるのを感じていた。

 これで終わりだ、もうこれきりにしよう。綾。きっと僕は、もう二度と君を泣かせるなんてことをしないから。だから今日だけは、何も見ず何も聞かず、ただ心地よい眠りの中に入ればいい。穏やかな夢の中に揺蕩っていればいい。大丈夫、きっとすぐに迎えに行くよ。

 銀に光る刃を振り下ろす。月光に照らされた舞台は、相変わらず不気味な青色に包まれていた。

prev / next



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -