交錯


 地を轟かすような唸りがやまない。今頃あの男は、虚化した隊長格と交戦しているのだろうか。五番隊隊舎には藍染に見えるよう鏡花水月をかけた男がいるので、彼のアリバイは崩れようがないが、綾をこうして自室に運んでくるまでに誰かに姿を見られては全てが水の泡なので、慎重に姿を隠してきた。腕の中で眠る彼女は、時折懇願するように、藍染の名を呼んでいた。


「……すまない、綾」


 彼女を寝かせ、首元まで毛布をかけてやる。ここまで来る途中に泣いたのか、その白い頬に涙の痕が色濃く残っている。藍染はそれを見、彼にしては滅多にない、罪悪感を感じた。勿論それは、これから殺すことになるだろう平子や他の隊長格に対してではなく、それに苦しむ綾自身に向けたものであったけれど。

 藍染は彼女の手を握り、数分、彼女の傍に座っていた。とくりとくりとリズムを刻む脈が、彼女の命の存在を明確に示してくれる。瞼に僅かに被さった前髪をもう片手で払ってやってから、彼はもう一度、すまない、と囁いた。


 本当は彼女も連れていくつもりだった。だからこそ、一番隊隊舎の入口付近で立ち尽くしている彼女をわざわざ探してきたのだ。しかし、彼女が泣いているのを見たとき、やはり無理かもしれないとは感じた。そして、どうして殺さなくては駄目なのか、そう祈るように訊ねた綾によって、それは確信へと変えられた。

 きっと彼女は優しすぎるのだ。前四席を殺したときのあの零れ落ちた謝罪も然り。その気になれば、能力をとことん利用すればいくらでも上へのし上がれたはずだ。それでも、彼女はそうしなかった。その道を選ばなかった。

 そうさせたのは、自分だ。


「こんなつもりじゃ、なかったんだ」


 藍染は何かを乞うように、眠っている愛しい女に告げる。彼女を苦しめる気など、毛頭なかった。ただ自分の傍らに居て、自分が護ってやりながら、笑っていてくれればそれで良かった。それだけで良かった。

 綾。僕は君を、泣かせたくなんてなかったんだ。


「おやすみ、僕の愛しい綾」


 藍染は立ち上がり部屋を出て、その中に結界を張った。内部からも外部からも、壊すにはそこそこの力がいる。戸を閉める前に、眠っている女がもう一度、惣右介、と呟いたが、彼はもう何も応えず、ただただ優しく微笑んで、静かに戸を閉めた。


 少し離れたところで、ギンが黙って藍染を待っていた。律儀な子だと内心で笑いながら、行こうかと声をかけると、銀髪の少年はやはり無言で頷き、彼の近くまで歩み寄ってきた。その腰には、斬魄刀が差さっている。綾チャンは、というので、眠っているよと答えると、少年はおかしそうに首を傾げた。その仕草は、藍染を咎めているようにも見える。


「嘘ばっかり。眠らせた、の間違いですやろ」


 これには藍染も面喰った。まだ幼いながら、流石に頭が切れる子だ。返答の代わりにわらって歩き出すと、少年もまた静かにその後を追う。三日月が照らす悲劇の舞台へ、一歩一歩のぼっていく。

 早く終わらせてしまおう。彼は思った。全てを終わらせて戻ろう。愛しいひとが目を醒ましてしまう前に。













 助けたいと願うには、自分はあまりに臆病だった。助けてほしいと願うには、最早自分は逃げすぎていた。嫌なこと全部から目を背け、自分を許容してくれる誰かを楯にして、自分だけは何の恐怖も苦痛もない場所でうずくまるんだ。そうすれば自分は傷付きはしない。怖い思いをすることもない。悲しみに暮れることも、涙を流すこともない。

 その楯になってくれた人が世界の中心だなんて綺麗事を呟いて、自分が犯した過ちが清算されているように錯覚する。やっと望んで生きていくことが出来るなどと嘯く。自分はどこまで卑怯で卑劣で、そして愚かなのだろうか?

 今から、その答えを見つけに行こう。もう逃げたりなんか、しないから。


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