開幕


 仕事は速く的確。いつも冷静で落ち着いていて、しかし雑談となれば楽しそうな笑みを浮かべる。色々な方向への知識を持っているらしく、口にされる話題には十分な面白みがある。綾は、おおよそこのような評価を受けていた。誰から、といえば、この男からである。


「綾、九番隊行くからついてき」


 と、平子真子が言った。


「かしこまりましたー」


 出会ったばかりの頃とは違ってそれなりに打ち解けていた二人だから、彼女はすっかり間延びした声で返事をした。平子が示す書類を分割し、綾は半分より少し減らされた枚数を手渡される。上司だから部下だからと、いちいち自分が格上であることに浸らないのは彼の良いところだと思う。

 執務室には上位席官が揃っていた。平子、藍染、ギン、次いで綾。五席は非番のために不在だったが、その中でも副官である藍染ではなく彼女を連れたのは、やはり彼にむけられた懐疑心故なのだろう。


「九番隊は……、六車隊長でしたっけ」

「お前、いい加減憶えんとあかんで」

「憶えてますよー。それで副隊長は矢胴丸リサさんでしたね」

「阿保、九番副隊長は白や。久南白」


 勿論彼女の記憶力(の悪さ)はいつでも存分に発揮されている。傍目にはただの馬鹿な世間話にしか見えないだろうが、そもそもいくら自隊でないとはいえ、隊長の名を憶えていないなどあってはならないことである。だが、残念ながらそんなことを気にする二人ではない。


「こないだひよりが顔蹴ってきてん、ホンマ俺の綺麗な顔が台無しやったわあ」

「ひより……、ああ、十二番隊副隊長さんですね。相変わらず仲がよろしいようで」

「仲なんか良おないわ! 惣右介にも怒られるしハゲハゲ言われるし式もめんどいしホンマ厄日やったで」

「隊長にあるまじきお言葉ですね?」

「惣右介みたいな言い方しなや」


 隊長が殉職やら昇進やらで次々と変わっていくこの頃、瀞霊廷はのびやかながら、何処か忙しない空気を醸しているようだった。引退ではなく昇進したという十二番隊の話を、藍染が酷く興味深そうにその心に抱えていたことを綾は思い出す。

 廊下を歩けばそよいでくる風が、二人の髪を揺らした。二、三歩の距離を置いて斜め後ろを歩く綾には、前を行く平子の白い背中が、随分と大きく見えた。


「十二番隊に新しい隊長が来たんは知っとるか?」

「浦原隊長ですね、存じてまーす」

「ひよりがなかなか懐いてくれんて、難儀しとったみたいや」

「猿柿副隊長は前隊長を慕っていたとか……」

「せや。しゃあから余計気に喰わんみたいやな」


 親のように慕っていた人が突然消えたのでは、その地位に新たにやってきた人物にはいどうもなんてするりと馴染めるはずもない。生憎そんな人物を身近に持ったこともない綾には、それを実感できる術はない。ただ、それが辛いであろうことは容易に想像がついた。


「それで、隊長は何と?」

「上に立つもんは、下のもんの気持ちは酌んでも顔色は窺ったらあかん。好きなようにやったらええ。そう、言うてやった」

「……素敵な激励ですね」


 時折やってくる微風に、手の中の書類がひらりひらりとはためいている。ちょっと気を抜けば、もしかしたらするりとこの手から零れていってしまうかもしれない。書類に限らず、全てはえてしてそういうものだ。大切なものほど、気付かない内にいつの間にか手のひらの、この指と指との間から零れ落ちてしまうのだ。

 今まで何を取り零してきたのだろう。
 今、この掌の上には何があるのだろう。
 目には見えない何かが、そこには確かに存在している。脆く儚く壊れやすい宝物が、小さな呼吸を繰り返しながら、そこに確かに生きている。


「なあ、綾」


 でも、もう猶予は少ない。タイムリミットは刻刻と迫っている。後ろから何かが綾を追ってきているのだ。言いようのない恐怖が、高揚が、焦燥が、すべての感情が一緒くたになったようなものが、足音を立てて一歩一歩、確実にこちらへと近付いている。






「流魂街の変死事件のこと、知っとるか?」





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