火子


 あれから何年経ったのかも忘れてしまった。

 こっちこっち、と手を引く少年が歩むのは、流魂街の道である。随分と懐かしいものだ。その地の出身である綾は、当時の苦しい生活を思い返しながら大人しく彼に従った。擦り切れた草履。色の褪せた安い着物。乏しく貧しい食料。あの頃は本当に生きていくことに必死だった。苦しい生活が必ずしも不幸だとは考えないけれど。


「ギン」

「もう少しやで!」


 聞けば、ギンも流魂街出身なのだという。成程確かに、干し柿が好物だというおよそ子供らしくもない事実には驚いたものだが、そんな渋い食料すらもご馳走になるような生活をしていたのだろう。

 にしても、死覇装でこの地に来たのは失敗ではなかっただろうか。ここでは死神など、目立って仕方がないのだから。


 やがて前を行く少年が足を止めた先、立ち並ぶ家屋とほとんど同じ外見の古家が建っていた。今にも腐って崩れてしまいそうな木柱、石の積まれた茅葺の屋根。ここや、と胸を張るギンに寄れば、ここがそうであるらしい。ギンと、その大切な女の子が日々を生きている住処が。

 そのときがらりと戸が開けられて、


「あれ、ギンじゃないの。おかえり」


 出迎えたのは、一人の金髪の女の子だった。
 ただいま、とギンが笑う。その笑顔を見ただけで、彼がこの子をどれだけ大切に思っているのかが、綾にはよく分かるのだ。読心能力なんて使わなくても、痛いほど分かるのだ。

 彼女が、松本乱菊。


「この方は? 上司さん? 初めまして」

「ううん、部下。月下綾です。よろしく」


 乱菊は黄金の髪を揺らして綺麗に笑うと、綾を部屋の中へと招き入れた。その背の錆色の着物は、幾筋もの皺が寄っていた。着替えてくる、と言ってもう一つあるらしい奥の部屋へと姿を消したギンを見送ってから、綾は囲炉裏の傍に正座した。

 乱菊が出してくれたお茶と干し柿に若干苦笑して、彼女は礼を言ってからそれに手を付けた。干し柿やら干し芋やら、乾物系は保存が効くのだろうし、使い勝手も良いだろう。


「綾さん、ギンの部下なの? あいつ部下なんているの?」

「呼び捨てでいいよ、乱菊ちゃん。……まあ、ギンはまだ子どもだけど、すごく強いからね」


 護廷十三隊は実力主義だ。席官の位は上からまるきり"強い順"である。平子、藍染に次いで強いのがあんな小さな子どもであるということには少し悔しい気もするが、昔と違って綾には闘争心と呼べる感情が薄くなっていたので、さして気にはならなかった。

 ところでこのとき、綾はついうっかり教えられていないはずの乱菊の名を口に出してしまったのだが、本人はおろか乱菊さえもそれを不審がることはなかった。まあ気付かれたとしても、ギンに教えてもらったのだといえばそれで事足りる話だが。


「そう……。あいつ、強いのね」


 伏し目がちに呟いた乱菊は、自分の分の干し柿を一口齧った。どうやら彼女にも霊力はあるらしい。腹が減るのは霊力があるもののみである。


「綾さんは、……綾は、なんで死神になったの?」


 女の声は不安そうに低く、綾は思わずその淡い青の虹彩を覗き込んだ。しかし、すぐに乱菊が後ろを振り返ったために、心を読みとることは出来なかった。乱菊が振り返った先には、黒い着流しに着替えたギンが裸足で立っていた。


「なんや、干し柿食べとんの二人とも。ボクも食べる!」

「あとちょっとしか残ってないわよ」

「ほなまた作らなあかんな。ついでに木の実も採ってこんと」


 死神ならば食堂で食事にありつけるはずだが、ギンはほとんど(昼時以外)の食事は流魂街の家に帰って食べるのだと綾は聞いた。きっと彼女がいるからなのだろう。ギンが乱菊にむける感情は、恋慕とも親愛ともまた少し違う。心を読んだ綾でさえ、とても言葉には言い表せそうにないものだ。


「ねえ、綾もご飯食べていきなさいよ、今夜」

「それええやん! な、ええやろ、綾ちゃん」


 二人の愛らしい子どもに迫られ、綾は笑いながらに頷く。焚かれた囲炉裏の火が、ぱちりぱちりと小さな火の子を飛ばしていた。



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