逃歌


 朝、目が醒めたら知らない部屋で寝ていた。

 なんて、男女がよろしくない関係を持ってしまったときの言い訳に使われる陳腐な常套句にも、綾は今なら少しだけ共感できるような気がする。彼女はまさしく、目が醒めたら知らない部屋(正しく言えば、記憶に残っていない部屋)にいたのである。


「何処だろ、ここ……」


 頭に酷い鈍痛を感じながら、綾はぽつりと呟いた。死覇装のまま眠ってしまったらしいが、そもそもどうして自分は他人の部屋で寝ているのだろう。彼女は他人を注意深く警戒していたし、人前で眠ることなどほとんど無かった。誰かに気絶させられるなんてことも、能力がある限りほぼ確実にないと言える。だとしたら、


「私、自分でここ来たのかな……」

「そうだよ」


 返ってくるとはと思っていなかった言葉に、彼女の肩が目に見えて跳ねる。布団に入って上半身だけを起こした状態の彼女に、返答の主の男は歩み寄って、乱れた髪を軽く撫ぜた。藍染は優しい笑みを浮かべている。死覇装に袖のある隊長羽織を羽織って、既に仕事へ赴く準備も万端らしい。


「ごめん、惣右介」

「構わない。いや、むしろまだ寝ていた方が良い。熱がある」

「そうみたいね。もう、……ああ、そうか。昨日は、」


 ふと絡んだ視線に全てを読んで、彼女は苦笑した。そうだ、昨日は彼の仲間と顔合わせをする予定だったのに、結局東仙要が来る前に眠ってしまったのだった。いくら藍染だからといって、彼の前で堂々と眠りに落ちるだなんて。自分も随分と飼い慣らされたものだと、綾は自嘲する。

 枕元には斬魄刀が置かれていた。仕事の後にそのまま来たから、姿も死覇装のままだったのだろう。まさか藍染の前で着替えるわけにもいかず、そもそも着替えもないこの状況では、この恰好で眠る以外の選択肢はない。彼女は仕方なく再び布団を被り、思い切り身体を伸ばした。布団からは、彼の匂いがした。


「あまり酷ければ呼んでくれ。四番隊に連絡する」

「最悪貴方を呼ぶけど、四番隊は嫌」

「……、そうか」


 それじゃあ、また。手短な挨拶とともに部屋を去っていった藍染の霊圧がちゃんと遠ざかるのを確認して、綾は今度こそ気兼ねなく(といっても先程からそうだったが)身体を弛緩させた。誰もいない空間。自分一人だけが存在している空間。嗚呼、なんと心地よい。

 発熱は珍しいことではない。彼女が読心能力を得たのと同時期から、ほとんど持病のように定期的に発症するそれを、彼女は能力の副作用のようなものだと考え、自分を納得させていた。実のところ、発熱は数字上はかなりのところまで行くのだけれど、彼女は何も苦しくなかった。症状といえば身体が月経時のような怠さに襲われるだけで、直接的な痛みは皆無だった。どうしても挙げるとするのなら、今も少し残る、この鈍い頭痛だろうか。

 五番隊にはきっと藍染が連絡を入れるだろう。もしかしたら平子が何かを、端的に言えば彼女と藍染の繋がりを疑うかもしれない。しかし彼女には、それは最早どうでもよいことだった。

 他人の部屋だというのに、ここは本当に居心地が良い。横になって目を閉じると、先程呼んだ彼の心が、また音のない声を持って彼女の脳を流れて行った。

 その中の一つに、少し引っかかったものがある。


「哀れな子、ね」


 藍染の心は、片隅でそんなことを呟いていた。
 昨晩、自分は泣いてしまったらしい。柄にもない。そうして自分は同情を買ったのか。

 なんともらしくない行動に綾は嘆息し、再生され続ける彼の心の声から逃れようと、なんとか旋律を憶えていた歌をおぼろげながらに口にした。それは、部屋の外には漏れ出ることのないほどの音量だった。そうして歌を口ずさんでいるうち、いつのまにか彼女は倦怠感の中に眠っていった。



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