(隔離宣言) 



 不可解なことがあまりに多過ぎるのではないかと、市丸は思うのだ。この場合の不可解というのは、あくまで彼にとって脳が理解できる許容範囲を超えた事象のことなわけだが。

 なまえを信じた者は殺された。殺されたのだ。聞かずとも彼にはそうと分かった。深くまで知りすぎた者たちが、それを良しとしない誰かによって口封じされたのだろう。調子に乗った潜水士が、獰猛な深海魚に喰い殺されるみたいに。好奇心で伸ばした手のひら、なまえを救おうとして差し伸べた手のひら、どちらでもいいのだ。どちらにせよ、深海魚にとってはそれが餌であることに違いない。


(乱菊は、信じてるんやろな)


 普段より幾分早い歩調で目的地を目指しながら、市丸はふと、そう思った。少なくともあの甘味処での一件で、なまえを心配する彼女の言葉は、本物だったはずだ。かつて共に生活してきたものの名残だろうか、市丸はとりわけ彼女の嘘には敏感だった。

 決まってるでしょ、危ないからよ。その言葉だけは、彼女は淀みなく言い切った。躊躇いが見受けられたのはその後、何が危ないのかと暗に聞き返した市丸への返答だった。


(危ない、って、ボクのことやったんやないか)


 どこかで聞きつけたのかも知れない。顔の広い彼女だから、市丸が午後の執務を丸ごと放り投げて囚人であるなまえのもとを訪れたことを。そうして市丸が危険な事件(というべきかは分からないが)に巻き込まれないように、嘘を交えて連れ出した……。

 彼女らしく強引なやり方ではあった。市丸とて、わけも分からぬままに話を強制終了させられたことに、全く腹が立たないわけではない。しかし、それが彼を心配するが故の行為であれば、怒ることなどできるはずがなかった。あの子は優しすぎるな、と独り言ちて、市丸は袴を引き摺って歩く。

 夕暮れの柔らかい光が差し込んでくる。流れる銀色が朱を帯びる。勿論そんな色彩の変化を、本人である彼は知る由もないが。

 しばらく歩いたところで、「市丸、」と自分の名が背後から呼ばれるのを、彼は聞いた。振り向けば、そこに立っていたのは、同じく隊長羽織を身につけた盲目の隊長。


「東仙サンやないの。どないしたん、こないなとこで」

「執務室が暑いから、少し涼みに出てきただけだ。君は?」

「ボクもです、仕事が面倒なもんで」

「……君は百年前から変わらないな」

「人間なんてそない簡単に変わらんでしょう」


 東仙の髪型にだけ言及するならば、それはもう大いにこの百年で変わっているのだが、彼の言う変化が内面をさしていることくらい流石の市丸にも理解はできたので、黙っていた。百年前のまだ幼かった彼では、こうはいかなかったかもしれない。あの頃の自分は、それはもう呆れるほどに無知で愚かで、手のつけようがない人間だった。それは、大人というには無邪気すぎたし、子供というにはあまりに純粋でなかった。


「あの頃の君は随分やんちゃで手を焼いた」

「その節はどうも、お世話になりましてえらいすんません」

「まあ、大人が子どもの面倒を見るのは自然なことだがな。……ところで、何をしに?」

「ちょっと、監獄に散歩しに行こうかと」


 冗談めかしてけたけた笑いながら、風に揺らめいて覗く羽織の裏の色を、何色と呼ぶのだろうと考えている。大切に隠されたこの目は、何を見据えているのだろうか。彼の虹彩の色を、市丸は見たことがない。


「監獄なら、今は立ち入りが禁じられているはずだが」


 特に躊躇うでもなくさらりとそう言い放った東仙に、市丸は思い切り顔を顰めた。なまえには数日前に会ったばかりだ。この短期間で、死神の立ち入りが禁止されるようなことがあったのだろうか。「なんかあったん?」と問う彼に、盲目の隊長は表情を変えず、低い声で告げた。


「何やら魔物が出るだとかで、最近ふざけて見に行く輩が多いらしい。それをとめるためだ。いつ解禁されるかはまだ分からない」


 それ、ボクやないよね。ふざけてないし。
 笑い飛ばせればよかったのだが、彼は市丸がその"魔物"と知り合いだということに気付いていない。そもそも、この様子では"魔物"が何を意味しているのかさえ知らないのだろう。ひとつの情報源が絶たれ、がくりと肩を落とす市丸の気配を、東仙が訝しげに見つめていた。

 太陽が沈もうとしていた。



隔離宣言


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