「今日のおやつ、何?」


 ひょいとキッチンに顔を出して、可愛らしくそう訊ねたのは、我らが誇る赤髪のお頭である。時計を見れば、針はちょうど1と2の間。まだ昼食を終えてから一時間と少ししか経っていないというのに、彼の腹の虫は随分とせっかちなようだ。また出たな、と、私は溜息を吐きながら、「パイですよ。アップルとレモン」と教えてさしあげる。"おやつ"という言葉の甘い響きと、お頭の普段の威厳とのミスマッチ具合といったら。


「俺も手伝う」

「やめてください」

「なに、船長だからって気を遣うことはないぞ」

「遣ってません」


 事前に常温に戻しておいたバターを次々ボウルに入れながら、わざとお頭の目は見ずに冷たくあしらう。目は見ずに、というのが最大のポイントである。彼がしつこいモードに入ったときは、こうして最低限の言葉と反応で返すのが有効な対処手段なのだ。

 うちのお頭に妙な性癖があることは、意外にもクルーの大半が知っている。それはつまり、なんというか、好いた相手に対して非常にねちっこいのだ。そしてその被害を受ける役を担っているのが、赤髪海賊団のコックの一人であるこの私。クルーが船長に好かれることは、それが人間的な所以であれ男女間の色恋であれ、この上なく光栄なことなのだろう。それを手放しで喜べない私は、しかしこの場合に限れば責められる過失はないと存じている。


「なあ、俺のパイだけメッセージ付けてくれよ」

「わかりました、ウスターソースで『さようなら』って書いておきます」

「辛口だな! ウスターソースだけに!」

「どうかお帰りください、お頭」


 これがあの四皇の一人、多くの海賊から畏れられる赤髪のシャンクスかと思うと、俄かには信じられない気もする。この寒いおっさんと、覇王色の覇気ひとつで敵の親玉を気絶させてしまう大海賊の頭領が同一人物だなんて、とんでもない二面性だ。ギャップ萌えだなんて言葉が世の中には存在しているようだけど、私からしたら何が良いのかまったく理解できない。残念ながら。

 容赦ない私の態度に、言葉で了承を得るのは諦めたらしい。お頭は私の背中にぎゅっと抱きつくと、顎を頭に乗せてきた。腹に回された腕は逞しくて頼もしくて、嗚呼さすがは我らがお頭、……じゃなくて!


「シャンプー換えた?」

「何でわかるんですか気持ち悪いです離れてください」

「照れるナマエもかわいいぞ!」


 この無駄にポジティヴな性格、どうにかならないものか。頭にかかってくる重みが段々大きくなってきて、思わず咎めるように「お頭、」と呼ぶと、ら、を発音した瞬間に顎が離れた。が、背中はお頭と密着したまま。腰のホールドをぴしぴし叩きながら、こんな状況誰かに見られたら誤解しか生まれないなと思った。それでも行動に焦燥が滲み出ないのは、私もお頭のストーキング行為を長らく受けて、成長したということなのだろう(できればしたくなかった)。

 しばらく放置してパイ生地の元を混ぜていたら、痺れを切らしたのか、するりとシャツの裾から入ってきた手が悪さをする。いやいや痺れを切らしたいのはこちらですよ、お頭。いい加減殴ってやろうか、とクルーにあるまじき思いで背後のお頭を見上げて、そうして、言葉を失った。あれ。

 ……このひとって、こんなに綺麗だったっけ?


「うまそうな匂い」


 先程まで私の頭上にあった顔は、ゆったりと動いて私の肩へ。耳元で囁かれた言葉に、不覚にも心臓が跳ねてしまった、のは、きっと悪い冗談だ。急速に赤く染まっていく頬を見られないようにと、持っていた泡立て器を振り上げたら、なかなかの手応えとともに「ぶへっ」と何とも情けない呻き声を聞いた。クリーンヒットしたらしい。


「何がうまそう、ですか。まだりんごだって煮詰めてないですし、匂いなんてするわけないでしょう!」

「いや、そうじゃなくて……、」


 鼻の頭を押さえながら、お頭はとうとう私から離れた。ストーカー撃退である。ふふーん、と悪者を退治したヒーローを気取って、腰に両手を当て仁王立ちする。お頭の口元が、抑えきれない笑いで歪んだ。「そうじゃなくて?」と先を促せば、彼は一切の躊躇もなくこう言う。


「ナマエがうまそうだなあって」

「終いには刺しますよ」


 頭を抱えて、まだほとんど作業の進んでいないキッチンと時計を交互に見遣る。何せ焼き時間があるのだ、あまりぐずぐずもしていられない。すると、そんな様子を見て察したのか、お頭は笑って、私の頭を乱暴に撫でた。近寄ってきたときに図らずも臨戦態勢を撮ってしまったのは、まあ、ご愛嬌だ。「俺の、ちゃんとメッセージ書いてな」と言うので、まだそれを言うか、と思いつつも、ここいらが妥協点だろうと納得して、頷いた。


「書いてなかったらナマエのこと喰うからな」

「またそれですか、変態!」

「恋する男は皆変態なんだよ、憶えとけ」


 そんな名言(迷言)を残して、お頭はキッチンを出て行く。おやつを作る時分になると私によく絡んでくる彼だが、それが原因でおやつの出来上がりが遅れたことはない。引き際を弁えているお頭の、その優しさが好きだった。そして、それを実感させられるこの瞬間、彼の背中に、声をかけたくなってしまうのも、いつものことで。「お頭、」と呼び止めた赤髪が、振り向いてさらりと揺らぐ。


「言っておきますけど、私、お頭が嫌いだったら、この船に乗ってないですからね」


 彼が、私への好意を恋だと言い切ったのは、今日が初めてだった。その事実に絆された部分もあるかもしれない。それが羨望であれ畏怖であれ恋慕であれ、結局クルーは皆お頭が大好きで、だからこそ命を懸けた航海を、彼とともにしているのだ。私だって。

 私の言葉に面白いほど瞠目した彼は、満面の笑みで言葉にならない声を発しながら、軽快なステップを踏み出て行った。「聞けよ、ベックマン〜! ナマエが俺のこと好きだって!」って船中に響く音量で叫んでいるのが聞こえる。誰がじゃ、誰が。胸裏でひとりツッコみながら、私は笑って、ウスターソースを取りに冷蔵庫を開けたのだった。

 だけどやっぱり気持ち悪いので、、お頭!


企画「スタージュエリーに墜落」様へ提出させていただきます。
ありがとうございました!





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