06


 その翌日のことである。


「ミラ、朝ご飯だよ〜」


 ノックの後に勢い良く開けられた扉から白熊が立ち入ってきたのを見て、ミラは心底驚いた。しかも喋っている。熊が人語を喋っている。生憎点滴が刺さっているせいで逃げることが出来ず、彼女は患者用ベッドの上で無駄に身じろぎしただけだった。白熊は自分が恐怖の対象になっていることに気付き、慌てて釈明する。


「お、俺、ベポ。怖いこと、何もしないよ」

「し、白熊……?」

「熊ですみません……」

「あっ、いや、責めてるわけでは……」


 すみませんだの、こちらこそすみませんだの、謝罪の応酬になった会話を、先に切り上げたのはミラだった。食事頂けるんですか、と控えめに訊ねたのだ。ベポは少し驚いたようで、それから首を傾げた。この純真無垢な熊には、先日落とした海賊らに彼女がどのような仕打ちを受けていたのか、きっと想像もついていない。そして恐らくはこれから先もつかないだろう。


「だって、ミラ、お腹空いたでしょ? 栄養失調だって、キャプテン言ってたよ」


 心優しい白熊が口にした"キャプテン"という人物は、数秒の黙考の後に彼女の頭の中で記憶の中の顔と結びついた。あの冷酷と言われている外科医は、白熊を仲間としているのか。なんとも可愛らしい趣向だ。白熊が明らかに普通でないことはとりあえず置いておいて、ミラの彼に向けられた警戒心はそこでほんの少しだけ弛められた。

 ベポは持ってきたトレーをベッドの付属テーブルに乗せて、どうぞ、と楽しそうに笑った。用意されたのは、バゲットと三種類のジャム、バター、それから野菜たっぷりのポトフだった。病人用にと、そこそこ軽めの食事にしてくれたらしい。よく分からない好待遇にミラは案外動揺していたので、特に何か疑うでもなく遠慮するでもなく、ベポに勧められるがままにポトフを一口スプーンに掬って飲んだ。


「……あった、かい…………」


 そうしたら、口にした熱が喉から足の指一本一本の先まで、するりと伝っていく心地がした。身体が元の体温を取り戻していく。自覚はしていなかったが自分は存外冷えていたらしかったと、彼女はそこで初めて知った。

 食べれそう? とベポが顔を覗き込むので、ミラは慌てて頷いた。間近に見る彼の目は、とてもつぶらで、可愛い。それは彼女の(というか恐らくは女性なら誰のでも)張り詰めていた心をするりするりと紐解いていくようで、ああ、とても落ち着く。


「えと、ベポ、さん、」

「"さん"はいらないよ! なあに?」

「ありがとうございます、こんな食事、……久しぶり、で」


 何かを思い返すようにそっと目を伏せたミラに、ベポはやはりその事情を汲むことが出来ずに首を捻るばかりだ。作ったのは俺じゃなくてコックだけどね、と苦笑する白熊に、彼女も少し表情を弛めた。可愛いなあとベポは素直に思う。


「……早く、元気になってね」


 呟いた。自然と零れ落ちた願望だった。ミラはアプリコットジャムを塗ったバゲットを齧りながら、また嬉しそうに笑って頷いた。



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