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<上陸二日目/10:26>

「お嬢さん、ちょいと寄ってきな」

 ふとかけられたお誘い文句に振り向けば、明るい茶髪をひとつにまとめた女性が、にこりと笑って手をこまねいていた。彼女とミラの間には、色とりどりの洋菓子が並んだショーケースが鎮座している。更にその奥から漂ってくる甘い香りに、ケーキ屋さんかとミラはそこで思い至った。

 島の中心にある商店街である。シャチとペンギンは酒屋、ベポは米屋(言わずもがなローのお遣いである)に用事があるということで、ミラは特段することもなく、暇つぶしに立ち並ぶ店を冷やかしていたところだった。

「どうだい、試食してかないかい?」
「いいんですか? ぜひ!」

 女の子らしくはしゃぐミラに満足げに頷いて、店主はケースから深い紫のムースをひとつ取り出す。そして皿に乗せてからフォークをつけて、「はいよ」と差し出した。流石のミラも、これにはぎょっとした。

「こ、これ……、試食って量じゃない気がするんですが……」
「遠慮することはないさ。いちいち試食用にちっちゃく切るのも面倒だし、毎回まるまる一個出してるんだ」
「お、おおらかすぎです、店長さん……!」

 出されたのはグレープのムースだった。タルト生地の上に、生クリームとペースト状のグレープが何層か連なっている。てっぺんにちょこんと乗せられたラズベリーが、これまた可愛らしく、ケーキに最後の彩りを添えていた。フォークで切った一口分を口に運べば、ふんわりとした甘酸っぱさが溶けて行く。

「美味しい!」

 美味を讃えて微笑む彼女に、店主も気を良くしたようだ。ふふんと自慢げにエプロンの腰元に手をあてる。

「メーラで一番美味いのはりんごだなんて言われてるがね、実はグレープもかなりのもんなんだよ。とある大物海賊もメーラのグレープをご贔屓にして、毎月かなりの量を買い取ってくんだよ」
「海賊が?」
「ああ。名前は何つったかなあ……、ド忘れしちまった」

 店主が悶々と悩む間にムースを食べ終えたミラは、ただその甘味の余韻に浸って、買うか買わないかではなく、いくつ買おうかということを考えていた。こんなに美味しいものを、自分だけが楽しむのはフェアじゃない。

「ま、いいや。ところで、お嬢さんもそのマーク見る限りは海賊なんだろ?」

 店主は人差し指で、ミラのつなぎ、その胸元で不敵に笑うジョリーロジャーを示す。「そうです」と素直に頷くと、「ハートの海賊団、だよな」と思い出したように付け足す。どうやら海賊事情に詳しい人間のようだ。もう一度頷いた。

「ま、気をつけなよ。あんまり騒ぎ起こすと、その海賊の勘に触れちまうかもしれないしな」
「わかりました、ありがとうございます。あとあの、このグレープのムース、あるだけいただけますか」
「あいよ、毎度あり。一個250ベリーで、今出せるのはあと十個だから、……2500ベリーか」

 ついでにまけて2000ベリーにしてやるよ。
 次いで告げられた言葉に、ミラはいよいよ目を見開いた。試食分もあわせて、一体どれほどサービスをしてくれるつもりなのか。理由を探す彼女を察して、「元同業者のよしみだ」と店主は笑う。成程、道理で海賊情勢に詳しいわけだ。

「ありがとうございました」
「おう。気ィつけてな」

 手早くケーキが収納された箱を受け取って、ミラは去り際に店主に手を振る。彼女もまた朗らかに笑って、同じことをした。このケーキを、クルーの皆はなんて言うだろうか。どうか喜んでくれればいいと、ミラは船に向かって歩を進めた。足取りは、鳥が飛び回るかのように軽かった。

<同日/15:39>

「よう。例のムースあるか」
「ああ、どうもお久しぶりで。さっき女の子が買ってっちまったよ、全部」
「なんだ。折角わざわざ買いに来たってのに、つれねェな」
「まさか七武海様がじきじきに来られるとは思わなんだ。……ああ、そういやあんたの名前、さっきド忘れしちまってさ」
「おいおい、元ボスの名前を忘れるとは」
「その女の子も海賊だったし、結構いい子だったから、この街で無駄に騒いであんたを怒らせるようなことはするなよって、釘を刺そうと思ったんだがね」
「海賊か。フッフッフ、そりゃ面白い。どこのどいつだ」
「ハートの海賊団だよ。つなぎの胸にジョリーロジャーが入ってた。……って、あんた何笑ってんだい?」

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