02


 身体の奥底から湧き出る衝動が、静まる所を知らない。愛刀が浴びた鮮血を払い落として鞘に納めたとき、地に這って彼を睨んでいた男が全ての力を失い、事切れた。しかし彼はそれを気に留めるでもなく、かくりと首を鳴らして、クルーの雄叫びが轟く甲板から船内へと脚を踏み入れる。彼の右腕であるペンギンが、申し合わせたように彼の後を追う。

 つまらねェな、と、トラファルガー・ローは笑った。その口元は、そこいらの一般人が見たら悲鳴をあげるかもしれないほど凶悪に歪んでいたけれど、ペンギンはそれが彼が愉しんでいる証だと知っているから、別段怯えることもないのである。

「今のが5000万の首だと? 悪党の価値も随分ずさんになったモンだな」
「さっきアンタが殺したのが船長か」
「ああ」

 王を失くした国家に未来はない。彼らはこのままローのクルーに殲滅され、あらゆる金品や価値あるものを強奪されて、海賊としての幕を閉じることになる。勿論その中には、この凄惨な戦いの中で命を落とす者もいるだろう。生き残り、戦闘で傷付き今に沈没しそうな船の上で、飢えや痛みに苦しみながらしばらくは永らえる者もいるだろう。どちらにせよ、彼らは皆、この戦闘のせいで死ぬことになる。そこにあるのは、早いか遅いかの違いだけだ。どちらが幸福かなんて、彼の知ったことではないが。

 踵を鳴らして歩くローは、気が向けば通路の左右に在る扉を手当たり次第開けてみた。敵が奇襲をしてくれば、それもまた一興。財宝が見つかれば、それもまた一興。結局何が起きようと、全ては彼を愉しませるための材料にしか成り得ない。それほどまでに、彼らを襲撃してきたこのちっぽな海賊と彼らとでは、実力がかけ離れていた。悲しいかな、ドラマのように、出会う相手が丁度戦力の拮抗した奴らだなんて、滅多にないことだ。

「……貧相だな。金目の物もまるでない」

 三つ目の扉の先、戦闘の衝撃で崩れた樽から中身が溢れ、水浸しになった倉庫を認めたところで、ペンギンが肩を竦めて呟いた。すると、部屋に踏み入っていたローが彼を振り向き、突然くすくすと笑い始める。堪え切れていない笑声が、喉の奥でくぐもっている。

「そうでもねェぜ」
「何かあったのか?」

 来い、と横暴に顎で示す彼に、ペンギンも部屋に立ち入り、訝しげに彼の示した先を見る。帽子の影が落ちたその目許に、明らかな驚嘆が現れたのはその直後だ。"それ"は、外から見るのでは開けた扉に隠れてしまう、死角にあった。聞こえるのは、ひゅうひゅう、というか細い呼吸音。ぴちゃり、と足許の水溜まりが音を立てる。

 女が居た。

 所々が裂けた白い男物のシャツ。晒された首元や脚に滲む、鬱血した青痣。部屋の片隅の柱にロープで繋がれた手首。気絶しているのか眠っているのか、俯いている顔は長い金髪に隠れて窺えない。

 これはどう見ても――、海賊である二人には、"それ"がこの船でどういう扱いを受けていたのかが、語られずとも用意に推測がつく。

「ここに隠しておくってことは、よっぽど気に入られてたんだろうな」
「俺たちが来ても見つからないようにか?」

 珍しいものに興味をそそられたのか、ローは女の傍でしゃがみこむと、その頭をぺちぺちと叩いた。次いでその手のひらを首筋へ、前髪を掻き上げて額へ。触れられる度に女の瞼が微かに震えるから、どうやら何とか生きてはいるらしい。しかし、先程の呼吸音といい、この待遇といい、女が健康であるはずはなかった。

「死にかけだな」
「奴隷だろう。放っておけばいいじゃないか、船長」

 しかしペンギンの忠告も聞かず、ローは何かを深く考え込むように、女の顔をじっと見ていた。その時間はたった数秒ほどであったが、ペンギンの賢い思考回路は猛烈に働きだし、これから男が言うであろう科白をどのようにして諌めようかという結論を全力で探す。結局すぐに、この我儘な船長をとめることなど誰にもできはしないという、悲しい事実に考え至ったのだが。

 ペンギン、と呼びながら、ローは悪戯好きの幼子のように、薄く笑っていた。ほらな、やっぱりそうくるか。可哀想な腹心は頭を抱える。

「この女、連れてかえるぞ」


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