27


「ミラ、」


 やはり何事もなかったかのように、夜は明ける。立ち昇った太陽に目を細めながら甲板で朝陽を浴びていたミラに、前触れもなく背後から御声がかかる。それが誰のものであるかは、彼女にはすぐにわかった。王の目覚めは、不機嫌なものだ。


「おはようございます、ローさん」

「お前、あれから寝たのか」


 挨拶は完全にスルーか、と胸裏で笑う。「少しだけ」と答えたことに、嘘はなかった。ローがやってきたあのときから、記憶が飛んでいるのだから、そのまま眠ってしまったということなのだろう。食堂でさえ眠れてしまう自分の図太さを、彼女は密かに恥じていた。悪夢で飛び起きて泣き出したくせに、慰められた途端にぐっすり寝ていれば世話はない。


「……大したもんだ、お前は」


 あくび混じりに、ローがぼそりと独り言つ。それを皮肉ととったのだろう、ミラは耳にするなり頬を朱くして、「すみません」と呟いた。勿論、珍しく本心から人を褒めただけであるローは、その意味が分からずに首を傾げたのだが。

 船はまだ深い眠りの気配に包まれている。絶妙に気怠くて、動きが鈍くて、瞼が自然と下がっていく、この感覚は、目覚めたはずの二人をも取り込もうとするのだから、困ったものだ。

 ふと、ローががさごそとポケットを漁り、何かのケースを取り出した。差し出された青透明のそれとローとを交互に見遣りながら、「これは?」と問うと、「飲め」とだけ返ってくる。ケースの中はいくつかの小さな仕切りで区切られていて、それぞれに何かが転がっている。カプセル剤だった。


「睡眠安定剤だ。寝る前に一錠」


 ハッとしてミラはローを見る。目の下の隈が、いつもより一層濃くなっているように思えた。まさか。


「寝ないで、調合をなさってたんですか」


 彼は答えない。ただ黙って、帽子のつばを引き下げて、目元を隠すだけだ。しばらくの沈黙の後、二人の間に落とされた笑声は、どちらのものか、わからなかった。


「専門じゃねェがな。ないよりは、マシだろう」


 それでしばらく様子を見る。

 "見ろ"という命令口調ではない語尾に、ミラは心の底から笑い出したくなった。残忍で名の通った海賊だった。死の外科医などという恐ろしい二つ名さえついていた。そんな彼が、医者として振る舞うときはこんなにもあたたかい。最初に作ったカルテを見ながら、眠い目を擦って薬を調合していく彼の姿は、どうにも想像し難いのだが。「ローさん」と呼び掛けた声は、もう恐れてなどいない。


「がんばります」


 渡されたケースを握り締める。だいじょうぶ、きっと立ち直れる。ハートの海賊団の音楽家として、これからもやっていける。くしゃりと寝起きのままの髪が乱暴に撫でられたら、それだけですべてが浄化された気さえした。

 船内へ続くドアの開く音がした。ふわあと間抜けたあくびの声が聞こえた。突然の人の気配に二人揃って振り向くと、寝惚け眼で髪の毛をがしがしと掻くシャチである。重い溜息を吐いたのはローミラか、はたまた両者か。


「よう、ミラ。てか船長早いっすね。何かありましたか」

「いや。……今何時だ」

「今? ええと、多分六時くらいだと思いますよ。俺もなんか目覚めちまって……、って、船長どこに?」

「食堂。コーヒー飲みてェ」

「あ、じゃあ俺も。ミラも行こうぜ」


 こくこくと頷く彼女を連れて、シャチとローは船内へと戻っていく。「言葉通りモーニングコーヒーですね。珍しく」と冗談めかす声も、遠くなる。その背中を、徐々に姿を現し始めた太陽だけが物静かに見つめていた。


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