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「ミラ、悪いんだが今日は別の場所で寝てくれるか」


 というペンギンの科白を聞いた。夕飯を済ませてシャワーを済ませ(船長室のシャワーを借りているらしい)、さあ眠ろうと歯を磨いていたミラは、その提案に目を白黒させる。帽子に刺繍されたPENGUINの綴りが、鏡の中でそっくり反転しているのが、少し可笑しいと彼は思った。

 ややあって、言外の意味を思い知ったらしい彼女は、その青い瞳を小さな不安に揺らしながら、口を開いた。


「ごめんなさい、起こしましたか。……、その、昨晩」

「いや、たまたま起きていただけだ。……やっぱり、まだ、怖いか」


 男が。
 そう付け足さずとも全てを理解してくれる彼女の機転を、ペンギンは好きだと思う。弱々しく首を振った、その動作が強がりでないことを祈るが、世の中そう上手くはいかないことを、彼は経験則で知っている。

 怖くないはずがないのだ。見知らぬ海賊たちに犯されたなど、一生消えないトラウマに決まっている。そもそも彼女は、ローのほとんど気紛れと言っても過言で無い思いつきでここへ連れてこられたのだ。そんなわけのわからない状況で、今まで何気無く振る舞えただけ、大したものだ。仲間となった今ならまだしも、ここで目を覚ました当初の彼女の恐怖は、計り知れない。


「少し、夢見が悪かっただけです」


 だから、だいじょうぶ。
 一音一音噛み締めるように、ゆっくり発音した。その言葉の宛先は、きっとペンギンではないのだろう。泣きそうに笑む表情がなんとも痛ましくて、守ってやりたいと切実に思うのだけれど、今の彼女には、きっと手を触れることさえできやしない。頭を撫でてやるも憚られ、ただペンギンは、小さく「大丈夫だ」と呟いた。




 昔の記憶がある。映画のフィルムが少しずつ御年を召して色褪せていくみたいに、長年の経験の蓄積に押し潰されたそれはあまり綺麗ではないけれど、それでも彼女の脳裏には、いつだってその昔の記憶が宝物のように残っている。

 彼女の人生は、聞いたものが声を揃えて波乱万丈というに相応しいものだった。彼女を育てたのは、血の繋がりも何もない、やわらかな老夫婦である。海賊に捕まったので、彼らには別れの挨拶さえできなかった。今二人の顔を思い浮かべようにも、出てくるのは自分を犯した下卑た男らの顔ばかり。怖いを通り越して、最早老夫婦に申し訳なくなってくる。


『どうする、こいつ、オークションに売るか』

『いや。売るのはまた別に捕まえてきて、こいつは船で"働いて"もらおう』


 瞳孔の開ききった男が発した"働く"という言葉の意味を、彼女はまだそのとき、知らなかった。
 知らなかったのだ。


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